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『孫文』
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孫文〈上〉武装蜂起 (中公文庫)陳 舜臣

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孫文〈下〉辛亥への道 (中公文庫) 実録アヘン戦争 (中公文庫) 江は流れず―小説 日清戦争 (上巻) (中公文庫) 袁世凱――現代中国の出発 (岩波新書) 江は流れず 下―小説日清戦争 (中公文庫 A 71-10)


陳舜臣。

孫文が、数度の蜂起、亡命を経て、中華民国を起こす前くらいまで。
清末の、清政府や、諸外国の情勢との絡み合いについて、教科書レベルでしか知らなかったけれど、物語として読むと、よく入ってくる。
理解しやすい。
読後感として、孫文が目指した国と今ある国とはまた違う政体だろうなとも思う。

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『馬上少年過ぐ』
馬上少年過ぐ (新潮文庫)
馬上少年過ぐ (新潮文庫)司馬 遼太郎

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新装版 おれは権現 (講談社文庫) 新装版 アームストロング砲 (講談社文庫) 新装版 軍師二人 (講談社文庫) 人斬り以蔵 (新潮文庫) 幕末 (文春文庫)


司馬遼太郎。
短編集。

英雄児
河井継之助の生涯。
河井については、「峠」という長編でしっかり書かれているので興味があったらそちらの方が良い。
河井は幕末の日本で唯一ガトリングガンを買ったという。
が、越後長岡藩という小藩にいたこと、官軍の交渉相手が土佐の岩村高俊という小僧であったことが河井の不幸だった。
激闘のなか河井が負傷し、それがもとで死ぬと指揮できるものがおらず長岡藩は敗北。
河井ほどの人物を失ったのはもったいない。

慶応長崎事件
長崎でのイギリス水夫殺害事件と巻き込まれた海援隊。
福岡藩士金子才吉が水夫を斬ったが、海援隊に嫌疑がかけられた。
坂本竜馬、岩崎弥太郎、後藤象二郎らも出てくる。

喧嘩早雲
足利の足軽絵師、田崎早雲。
若いころは喧嘩ばかり、絵も評価されるんだがなんだかという早雲が幕末の動乱期に隊を指揮し藩を救い、人格が変わったかのようになり、「明治の二天(宮本武蔵のこと)」と呼ばれるようになる。

馬上少年過ぐ
伊達政宗の生涯。
言わずもがな。


重庵の点々
仙台伊達家の分家、伊予の伊達家のさらに分家の伊達宗純の病気を重庵(山田仲左衛門)が治療し、そのまま仕えて家老になる。
藩財政の逼迫を改めようとするが、もとからいる家臣たちはおさまらず重庵の専横を糾弾。
かつて助けられた宗純は、重庵は医者だとして命が救われるよう働きかける。
重庵は仙台藩預かりとなり余生を過ごす。


城の怪
大須賀万左衛門という浪人が、大阪城跡に出る物の怪を退治するため、知り合った松蔵と語らって退治に向かうが、他の侍に見つかり斬りあい、双方とも死ぬ。
この話が一番よくわからん。


貂の皮
脇坂安治が、赤井直正からもらった(奪った?)貂の皮のご利益で戦国時代を生き抜き、徳川政権下で大名として生き残る話。
『神聖ローマ帝国』
神聖ローマ帝国 (講談社現代新書)
神聖ローマ帝国 (講談社現代新書)菊池 良生

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ハプスブルク家 (講談社現代新書) 戦うハプスブルク家 (講談社現代新書) オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書) 英仏百年戦争 (集英社新書) 生き残った帝国ビザンティン (講談社学術文庫 1866)


備忘録的に。

ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマはゲルマン民族に滅ぼされた。
東ローマは、ビザンツ帝国として15世紀まで存続。
10世紀、西ローマの故地の東側、すなわち現ドイツ周辺に神聖ローマ帝国が成立、19世紀まで存続。
オットー、バルバロッサの活躍。
教皇との争い。
オーストリアハプスブルク家の支配。
宗教改革。
ナポレオン。
と、ローマ後のヨーロッパ史に深くかかわってくる存在。
『ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉』
ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈43〉ローマ世界の終焉〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
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395-476まで、およびそれ以降。

テオドシウスは息子二人に西方と東方をそれぞれ託したが、東西分離を意図したのではなく、従来続いていた分担をしたのであった。
しかし、息子たちとその側近たちは次第に分離していき、別の国家として動いていくようになった。

蛮族のたびたびの侵入により第一に被害を被るのは農業に携わる者である。
ローマの防衛線が機能しなくなったいま、彼らは農奴となり豪族や教会の荘園で、守られる代わりにその支配に入ることとなる。

ローマの人材面の衰退は、シビリアンとミリタリーを分けたことにある。
建国以来、王政、共和政、元首政、帝政とあったが、国のトップに立つ人物は政治・軍事に携わらざるを得ない。
シビリアン、ミリタリーの両方の経験を積むことができたシステムが、シビリアン・ミリタリーを分けたことにより崩れ、人材の質が低下した。

あらゆる面で衰退に向かっていたローマを支えていたのがスティリコであった。
国の危機にもかかわらず、スティリコを快く思わない者たちはおり、陰謀によってスティリコは処刑に追い込まれた。
いつの時代もどんな国にもこのような者たちはいるが、後先考えないのだろうか。

スティリコの抑えがなくなり、アラリックにより首都ローマは蹂躙される。

その他の地域でも蛮族は侵入、というよりも定住していく。
ゲルマン民族も、フン族に追われ、押し出されるようにしてローマに“移住”してきたのであった。
そのフン族を率いていたのがアッティラだが、アッティラが死ぬとフン族の脅威は消えた。
脅威が消えたのはゲルマンにとってであり、ローマにとってはゲルマンという脅威は全く消えないままである。
フランク、ブルグント、東西ゴート、ヴァンダル、アングロ・サクソンらによってローマ西方はほぼ失われる。
最後の皇帝ロムルス・アウグストゥスはオドアケルにより退位させられ、西ローマは滅亡する。
西ローマの跡地には上述のゲルマン諸族の国が成立する。

東ローマ、以下ビザンチン帝国というが、ユスティニアヌス帝が往時のローマの領域を取り戻そうとし、将軍ベリサリウスを派遣する。
ユスティニアヌスの時代に一時的にはイタリアなどを取り戻すが、長くは続かない。
中央集権化が進み、官僚制ができあがったビザンチン帝国では、占領行政は官僚の役割であった。
ローマでは、シビリアンもミリタリーも経験した司令官が統治も自ら行うが、中央から派遣された官僚ではうまくいかなかった。
そして、蛮族とビザンチンによるイタリアの争奪が繰り返され、イタリアは荒れていく。

ユスティニアヌスの死後、ビザンチンが得た旧西ローマは蛮族に奪われ、またアラビア半島からはイスラム勢力が押し寄せた。
イスラム勢力は、北アフリカをまわり、イベリア半島まで侵略した。
地中海がローマの内海であった時代は完全に終わりをつげ、北と南を分かつ海となった。
ローマ世界はこうして消滅していった。
了。

『ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利』
ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈40〉キリストの勝利〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈41〉ローマ世界の終焉〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈42〉ローマ世界の終焉〈中〉 (新潮文庫)
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コンスタンティウス(337-361)からテオドシウス(379-395)まで。

コンスタンティヌスの死後、ローマは息子3人が継いだ。
その中でコンスタンティウスのみが生き残る。
コンスタンティウスは、血縁者を副帝にするが自ら殺し、しかし蛮族・ペルシアと戦ううえでやはり副帝が必要となり、一人残っていたユリアヌスを副帝にした。
蛮族の侵入が激しくなっているのに内戦を繰り返し、将官クラスも、兵も死ぬ。
結局はローマの防衛力の毀損である。

ユリアヌスは西方を任される。
副帝になるまでは飼い殺しされていたが、任命された後、まじめに責務を果たし、西方の軍団の支持を得るまでになる。
そして軍団から正帝に推挙され内戦が生じるかに思われたが、コンスタンティウスが没したため、内戦は避けられ、ユリアヌスがそのまま正帝となった。
ユリアヌスは背教者と言われるが、これは後に権力をもったキリスト教からの呼び方である。
ユリアヌスは。多神教のローマに戻そうとしただけだった。

正帝になって数年後、ユリアヌスはペルシアとの戦いの中で死ぬ。
ユリアヌスの後の皇帝はキリスト教徒であった。

この時期、蛮族にも動きがあった。
フン族の登場である。
ライン川、ドナウ川をはさんで対峙していたのは中世の主役となるフランク、アングロ、サクソン、ゴートなどであったが、その向こうからフン族が押し寄せてきたのである。
ゲルマン民族にせよ、フン族にせよ、物資が少ないため、豊かなローマに押し寄せ、押し出されてくるのである。
5世紀に突如として現れローマを滅ぼしたのではなく、過去からずっと彼らは存在し、ローマはこれを食い止めようとしていた。
それがままならなくなり、ついに滅んでいくのである。

フン族の登場に伴い、ゴート族がドナウ川流域に侵入し居ついてしまう。
その頃東方はテオドシウスが担当している。
西方はグラティアヌスが担当していたが司令官の反乱で死亡して、幼いグランティニアヌス2世が西方を担当するが、実質的にはテオドシウスがローマ全域を見ることになる。
テオドシウスはすでに洗礼を受け、キリスト教徒になっていた。
テオドシウスがキリスト教以外を全面的に禁止したことによって、キリスト教がローマの国教となる。
一神教のキリスト教は、他の宗教、他の神を認めないため、多神教であった時代のローマの遺産を破壊していくことになる。
これが見直されるのはルネサンス期だが、人類の財産がどれほど失われたことだろうか。

アンブロシウスという当代随一の実務家がおり、彼がキリスト教会の仕組みを作り上げていく。
一神教ゆえに神以外崇めてはいけないが、人間は誰かにすがりたいという気持ちがある。
そこでアンブロシウスは守護神ではなく守護聖人を大量に生み出すこととした。
宗教といえど、一応の理屈の通る仕組みが作られることが重要で、それが満たされれば機能する。
世俗と隔絶したものではないということで、アンブロシウスはその点非常に有能な男だった。

こうしてローマが完全に異質なものに変化していくなか、テオドシウスは、二人の息子にローマを東西に分けて残して死ぬ。
次巻。



メモ。

改革がむずかしいのは、既得権層はそれをやられては損になることがすぐにわかるので激しく反対するが、改革で利益を得るはずの非既得権層も、何分新しいこととて何がどうトクするのかがわからず、今のところは支持しないで様子を見るか、支持したとしても生ぬるい支持しか与えないからである。だから、まるで眼つぶしでもあるかのように、早々に改革を、しかも次々と打ち出すのは、何よりもまず既得権層の反対を押さえこむためなのだ。
(文庫版39巻58、59ページ)

権力とは、他社をも自分の考えに沿って動かすのことのできる力であって、多くの人間が共生する社会では、アナルキア(無秩序)に陥ちたくなければ不可欠な要素である。ゆえに問題は、良く行使されたか、それとも悪く行使されたか、でしかない。
(文庫版39巻59ページ)

『ローマ人の物語〈35〉最後の努力』
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
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ディオクレティアヌス(284-305)、コンスタンティヌス(306-337)。

ディオクレティアヌスは皇帝就任早々マクシミアヌスを共同皇帝に任命し、帝国西方を担当させる。
西方はライン川・北アフリカの対応、東方はドナウ川・ペルシアの対応と言える。

ローマに限らないだろうが、治安、防衛は重要課題である。
平和が維持できなければ、生産に従事する人が減少する。生産しても奪われるからだ。
また、物流にも支障が出、経済活動が低下する。
経済活動が低下すれば失業者が増大する。

ディオクレティアヌスは、東西両方に、さらに副帝を置き、ローマの防衛を確立しようとした。
4人の皇帝が軍団を持つことでローマの軍事負担は増した。
軍事面での変化としては、主力が歩兵から騎兵に変わった点がある。
蛮族は騎兵で押し寄せるため、これに対抗できる機動性を確保するため、ローマ軍も騎兵を中心に据えざるを得なかった。
そうすると、騎兵は蛮族から調達するしかなく、軍に蛮族を組み入れていった。

ディクレティアヌスは、内政においても十分に機能するように組織を分け、専従させることとした。
しかし、かえって人材の流動性がなくなり、各組織は縦割りとなり、自組織の肥大化を招く結果を招いた。

また、職業の世襲制もしかれた。
これにより、社会全体の人材の流動性が損なわれることとなった。

結果はどうあれ、ディオクレティアヌスはローマの再興のために尽力していた。
そして、彼が帝位に就くまでにあった内乱を避けるべく、引退した。
引退したのちも彼の作った4人の皇帝による統治がうまくいくと思ったのだろうか。
実際には、皇帝たちと、帝位を継げると考えた皇帝の息子たちの権力争いが生じ、結局内乱となった。

内乱を勝ち抜いたのがコンスタンティヌスである。
彼は、現在のイスタンブルであるコンスタンティノープルを建設し、ミラノ勅令でキリスト教を公認した。

ローマはもともと多神教の国である。
キリスト教の神が加わったところで、数ある神が増えるに過ぎない。
しばしば皇帝がユダヤ教・キリスト教に厳しい態度で臨んだのは、彼らがその教義ゆえにローマ人としての義務を果たさなかったことが理由であって、教義の違いによるものではない。
だから、公認するといったこと自体は何らおかしなことではなかった。

ローマの皇帝は、元老院と市民の承認を得て帝位に就く。
帝位の正当性はそこにあった。

コンスタンティヌスは、唯一の神から帝位を与えられたとすれば、それが正当性になると考えた。
その種をまいたのがミラノ勅令である。

こうして、ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスによって、ローマはその仕組みを大きく変え、キリスト教が台頭していく。
次巻。

『ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国』
ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
塩野 七生

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83)) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
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211-284まで。

帝政以前は出来事で、帝政以降は皇帝名を書いてきたが、ここでは20人を超える皇帝が現れる。
ものすごく大雑把に言えば、ある皇帝が立っても失政あるいは軍事上の失点があり、別の皇帝が立ち、争う、の繰り返しである。
それぞれの皇帝がどのように現れ、どのように戦ったか、の繰り返しである。
対外的には、ライン川・ドナウ川の向こう側にいる蛮族からのローマの防衛、ユーフラテス川・中東をめぐるパルティア・ササン朝ペルシアとの争いである。

五賢帝時代の後に起こった混乱を収めたのがセプティミウス・セヴェルスであったが、彼の後を継いだカラカラ帝である。
「カラカラ浴場」で知られる皇帝である。
ローマ帝国には市民権を持つ者と持たない者がいた。
市民権を持つ方が有利であったが、カラカラはすべての国民に市民権を与えることとした。
ローマ市民権を持たないのは属州民であり、属州税を徴収していたがこれがなくなった。
そして市民権を持つ者への増税を図ったが当然これに対する反発は強く、すぐに元に戻された。
ローマは少ない軍隊で安全保障をすべく防衛線を築き上げ、そのやりくりのための税制を、国民の反発を招かない税制を維持してきたが、それがここで崩れ始めたのである。
また軍団兵になることで市民権を得るという特典があったが、だれもが市民権を持つならばこれも特典ではなくなった。
ローマ市民である軍団兵は、属州出身者による補助兵と異なり給料も支払われるから、財政にも影響を及ぼした。

アテネの市民権は、アテネ人の血が流れていることが条件であった。
ローマの市民権は、ローマに征服された民族にも付与された。ローマの同化政策といわれる所以である。
ローマにおいては、異分子であっても努力次第で市民権を得ることができるという流動性のある社会であり、これがうまく機能していた。
最初からすべて平等だというから、軋轢が生まれるのであって、努力次第となればそのような妙な軋轢も生まれないで済んでいた。

若いカラカラの浅慮が市民権の性質を一変させてしまった。
塩野先生はここでカエサルの言葉を引用している。
「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」

また、カラカラは各軍団から若い兵を集めた機動部隊を創設する。
この部隊をもって各地の戦線を移動したのだが、そのため各軍団の高齢化が進み、蛮族の侵入を激化させる要因ともなった。

極めつけは、カラカラがパルティアの王女を妻に迎えようとしたことだった。
子が生まれてローマ皇帝を継ごうものなら、母の生家であるパルティアに乗っ取られるおそれがあり、国民の反発を招いた。

数々の失策を重ねたカラカラは暗殺された。

この後はマクリヌスが擁立された。
カラカラの叔母ユリア・メサは孫のヘラガバルスを帝位につけるべく、兵を煽ってマクリヌスを暗殺。
オリエントに傾倒していたヘラガバルスは国民の反発を買い、ユリア・メサはもう一人の孫アレクサンデル・セヴェルスを擁立。
法学者ウルピアヌスの補佐を得、しばらくの平和が訪れる。

その間東方ではパルティアがササン朝ペルシアに滅ぼされる。
ローマとパルティアはユーフラテス周辺で争っていたものの、お互いに蛮族の対応もしていたこともあり、交易でのつながりもあり、ある意味では共生していた。
しかしササン朝ペルシアは小アジアまで支配していたかつてのアケメネス朝ペルシアの再興を目指したため、必然的にローマと和することはなくなった。

ウルピアヌスはアレクサンデルの治世の半ばに、反対派によって暗殺される。
その後もアレクサンデルは政務に努め、ペルシアと戦い、その後はゲルマン民族とも戦った。
蛮族への対応として和平交渉を行ったが、これを弱腰と見た軍の反乱に遭い、陣中で母もろとも暗殺された。
こののちいわゆる“軍人皇帝時代”に突入する。
なお、そもそもローマ皇帝はローマ全軍の総司令官もであるから必ず軍人の側面を持っている。

軍人皇帝時代の皇帝について列記することはしない。
ローマのなすことは、ゲルマン民族の侵入を防ぐこと、ペルシアの侵入を防ぐこと、これによりローマの安全を守ることに尽きる。
代々の皇帝はこれを為すことを求められ、その能力なしとみなされれば暗殺されるか、皇帝を名乗り出た別の人物に取って代わられた。
この繰り返しでしかない。
しかし、そうやって争ううちに人材は減り、政策の継続性も維持されなくなる。
それがローマ弱体化の一因ともなる。

一つの象徴的な事件として、ローマ皇帝ヴァレリアヌスが、ペルシアとの戦闘中、捕えられ奴隷にされるということがあった。
戦死する皇帝はいても、奴隷になる皇帝はおらず、衝撃的な事件だった。
帝位は息子のガリエヌスが継ぐが、ヴァレリアヌス奪還の戦いをする余裕はなかった。

そのガリエヌスが制定した重要な法律がある。
元老院議員は軍の将官にはなれないとしたのである。
従来ローマでは、指導者クラスには政治・軍事の区別なく様々な役職を経験し、広い視野を持つ人材が育つ仕組みを持っていた。
それが崩れてきてはいたが、ここへきて決定的になったのである。
これにより、以降、政治も軍事も分かる人材が出現しなくなったことはローマにとって大きな痛手であった。

また、ヴァレリアヌスが捕らわれたことをきっかけに、ブリタニア・ガリア・ヒスパニアがガリア帝国を興し、シリア・エジプトではパルミア王国が生まれた。
ローマが3分されたのがガリエヌスの時代だった。
このまま滅んでもおかしくないほどの混乱だったが、10年後に皇帝となったアウレリアヌスによって帝国は一つに戻る。

アウレリアヌスはローマに城壁を作る。
カエサルがローマから城壁を除き、その後の皇帝たちによってローマの防衛線はライン川・ドナウ川・ユーフラテス川と確立され、ローマには城壁は不要であったが、もはやそれも許されない時代になったということだった。

しかし、ローマ再興に力を尽くしたアウレリアヌスも暗殺され、その後も同じことの繰り返しが続く。
そして、ペルシア遠征中の皇帝カルスが落雷に遭って死ぬ。
息子のヌメリアヌスが帝位を継ぐが行軍中に変死を遂げ、茫然自失のローマ軍中にて、ディオクレティアヌスが皇帝となる。
彼の登場で軍人皇帝時代は終わりを告げる。
次巻。



メモ。

正当であるのは明らかな実力重視路線だが、人間世界のすべてのことと同じに、利点があれば欠点もある。実力主義とは、昨日まで自分と同格であった者が、今日からは自分に命令する立場に立つ、ということでもある。この現実を直視し納得し受け入れるには相当な思慮が求められるが、そのような合理的な精神を持ち合わせている人は常に少ない。いわゆる「貴種」、生れや育ちが自分とかけ離れている人に対して、下層の人々が説明しようのない経緯を感ずるのは、それが非合理だからである。多くの人にとってより素直に胸に入ってくるのは、合理的な理性よりも非合理的な感性のほうなのだ。
(文庫版34巻157、158ページ)

『ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず』
ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈28〉すべての道はローマに通ず〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈29〉終わりの始まり(上) (新潮文庫) ローマ人の物語〈30〉終わりの始まり〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈31〉終わりの始まり〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
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ローマのインフラ-街道、橋、水道、医療、教育-について。

すべての道はローマに通ずと言うけれど、これは逆で、すべての道はローマから発している。
ローマが拡大すると、新しい地域まで道を通す。
直線で一本通すわけではなく、他の街を経由したり等々複数の道を通す。
軍団兵をおいて植民した拠点にも通す。
そうやって出来上がった道、拠点が現在のヨーロッパにそのまま受け継がれている。
橋は街道の延長として作られ、高低差のないように建設される。
上下水道も完備し、公共の水道はタダ、私有地に引き込む場合は有料としている。
インフラの提供は国家の役割とされ、あるいは有力者による提供もなされる。
そしてローマが平和を維持している間はメンテナンスが滞りなく行われていた。

ローマは多民族国家であったが、勝者が敗者を支配するというのではなく、敗者をローマ化し、同化していくという特色があった。
ローマ街道網ができあがることで、帝国内の人・物の流通が活発になり、同化に資するという側面もあった。
民族自決の原則のもと、紛争が絶えなくなった今日とは一線を画す。

ローマのインフラの整備は国家のみが負担するのではなく、地方、私人それぞれが負担した。
公共のために何かをなすことは名誉と考えられており、地位の高いものが私財を投じて建築物や街道等を提供することは名誉と考えられた。
また、彼らの自尊心を満足させるために、それらに彼らの名が冠されることも当然のこととして受け止められていた。

カエサルのときに、医師と教師は一代限りながら市民権を与えられることとなった。
聖職だから、ということではない。
当時にあっては市民権がある方が有利で、医師と教師の数は増えた。
増えるということはそこに競争が働く。自由市場である。
カエサルは、競争原理を入れることで、質の向上と妥当な線での対価の落ち着きを企図したのかもしれない。

文庫版しか見ていないが、カラー写真・地図が多数掲載されていて、見る価値があると思う。

さて、ハード面・ソフト面のインフラを整備し、維持していたが、それも平和であればこそである。
内戦、蛮族の侵入により余裕がなくなったローマはインフラ整備もままならなくなる。
インフラが有効に機能しなくなれば、ますます国力の維持が困難となる。
こうしてローマは下り坂に入っていく。
次巻。



メモ。

「貧しいことは恥ではない。だが、貧しさに安住することは恥である」ペリクレス
「貧しき人は幸いなれ」イエス・キリスト
キリスト教の「慈愛」は、近現代になると「人権」にとって代わり、医療もまた「公」中心の担当分野と考えられて現在に至っている。そして教育のほうも、「私」中心主義から「公」中心主義に移行したという点で、医療と似ていたのであった。
(文庫版28巻140ページ)
『ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀』
ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
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トライアヌス(98-117)、ハドリアヌス(117-138)、アントニヌス・ピウス(138-161)。

ドミティアヌスの時代にライン河の司令官に任命されたトライアヌスだったが、ドミティアヌスが暗殺され、ネルヴァが帝位に就くと、ネルヴァから養子に迎えられた。
皇帝から養子に迎えられるということは、次の皇帝に指名されるのと同義である。
高齢であったネルヴァが死ぬと、トライアヌスは40代半ばで帝位に就く。

トライアヌスの時代にローマの領土は最大となった、と教科書で学ぶ。
カエサルがローマの防衛線を画して以来、積極的な領土拡張を目指さなかったのがローマだったが、トライアヌスの時代、ドナウ河下流の北岸にてダキア族が勢いを増す。
トライアヌスはこれを叩くことでローマの防衛を確保しようとしたのだった。

トライアヌスとそのあとに続くハドリアヌスは、インフラの整備、防衛線の整備につとめることになる。
ハドリアヌスにいたってはほとんどローマを不在にするということで元老院からは不評だったが、広大な帝国の維持は、地道なチェックと、不備を見つけたならば速やかに補修することによってしかなしえない。
政治はパフォーマンスではないのである。

トライアヌスは晩年に、パルティア・アルメニア遠征も成功させ、「至高の皇帝」(Optimus Princeps)の称号を受け、帰路に死ぬ。

五賢帝の三人目はハドリアヌスである。
トライアヌスと同じ地方の出身であり、トライアヌスが後見人となっていた縁もあった。
縁だけで皇帝になれるわけではないが。

上で述べたが、ハドリアヌスは帝国の防衛線のすべてをまわった。
といって特別戦争をしていたわけではない。
トライアヌスとハドリアヌスの地道な努力によって国の平和は守られていた。

ハドリアヌス治世のほとんど唯一の大規模な戦闘はユダヤの反乱だった。
ユダヤは一神教であるがために、ローマ世界に溶け込むことがなかった。
これを良しとしないハドリアヌスがついにイェルサレムを破壊した。

その後ハドリアヌスは、アントニヌス・ピウスを養子にする。
アントニヌス・ピウスの養子にマルクル・アウレリウスを迎えることを条件として。

アントニヌス・ピウスの治世は、トライアヌスとハドリアヌスの作り上げたものを維持するだけで物事が回った。
無為ということではなく、先帝がつくった枠組みの維持に力を注いではいた。

トライアヌスの時代に最大版図となった大帝国を支えたインフラはどのようなものであったか。
次巻。



メモ。

ローマの人材登用にコネが多いことについて塩野先生は以下のとおり述べている。
現代ではコネというとそれだけで悪感情を持たれるが(自分もそういう目で見がちだが)、当時のコネはノブレスオブリージュを当たり前の感覚としてもっていた上級社会の人間たちによるものであったので、今考えられる弊害は少なかったのかもしれない。

それにしても、帝政時代のプリニウスでも共和政時代のキケロでも、書簡を読むとコネのことばかりという感じで、ローマ社会はコネで動いていたかのような印象をもってしまうが、縁故による人材登用は、システムとしてそれほど悪いものであろうか。
ローマ人はついに、中国の科挙のような制度をつくらなかった。当時の大学としても良いギリシアのアテネや小アジアのロードス島やエジプトのアレクサンドリアで学んだ者が、それだけで帝国の中枢に入れるわけではまったくなかった。エリート養成ないしプールを目的としていた機関は、元老院だけである。だがこの元老院にも、議員を父にもてば自動的に入れるというわけではない。会計検査官か護民官に当選し、その任期を勤めあげることが条件になっていた。皇帝には推挙の権利があったので、軍団たたきあげにも道は開かれていたのである。
子のローマ人が人材登用にコネを重要視したのは、彼らの現実主義的性向のあらわれの一つであったとさえ思う。コネとは、責任をもってある人物を推薦することだ。人格才能ともに優れた人が推薦するならば、人格も才能も優れた人が推薦される可能性も高くなる。もちろん、この場合でも常にリスクはあった。しかし、客観的な試験ならば、無能や悪質な行政官を産むリスクは回避できるであろうか。
ユリウス・カエサルは、キケロが推薦してくる若者ならば誰でも自分の部下にしてしまったが、それはキケロの識見を買ったからである。トライアヌスも、プリニウスの依頼をほとんど満足させてやるが、これもまたプリニウスの誠実さと公共心の高さを認めたがゆえであった。人材登用は勝負である。この勝負の参加者には、登用者と登用される者の二人だけではなく推薦者も加えるというのが、つまり参加者全員に責任をもたせるというのが、ローマ人が縁故採用を多用した理由ではなかったかと思う。
(文庫版24巻249、250ページ)


君主ないしリーダーのモラルと、個人のモラルはちがうのである。一私人ならば、誠実、正直、実直、精練は、立派に徳でありえる。だが、公人となると、しかも公人のうちでも最高責任者となると、これらの徳を守りきれるとはかぎらない。ラテン語では同じく「ヴィルトゥス」(virtus)だが、私人ならば「徳」と訳せても、公人となると「器量」と訳したのでは充分でない場合が少なくなく、しばしば「力量」と訳さざるをえなくなるのである。
(文庫版25巻65ページ)

政治は非情なものなのだ。そのことを直視しないかぎり、万人の幸せを目標にすえた政治はできない。そして、政治を行うには必要不可欠である権力も、それを行使するには権力基盤が堅固であることが先決する。権力の基盤が確立していないと、権力の行使も一貫して行えないからである。
(文庫版25巻68,69ページ)

自らの考えを実現するという幸運に恵まれた人と、それによる成果を享受する人とは、別であって当然ではないだろうか。とくにそれが、公共の利益を目的としたものであればなおのこと。
(文庫版25巻128ページ)

ローマ人は、思わぬ幸運に恵まれて成功するよりも、情況の厳密な調査をしたうえでの失敗のほうを良しとする。ローマ人は、計画なしの性向は調査の重要性を忘れさせる危険があるが、調査を完璧にした後での失敗は、再び失敗を繰り返さないための有効な訓練になると考えているのである。それに、幸運による成功は誰の功績でもないが、情況調査を完璧にしたうえでの失敗であれば、少なくとも対策ならば充分に講じたという慰めは得られるのだから。
(文庫版26巻43ページ)

ギリシア人の歴史とローマ人の歴史を分ける最も明らかなちがいは、前者は、都市国家(ポリス)間の抗争の歴史であり、後者は、権力抗争はあっても都市間や部族間の抗争はなかった、という一事であろう。
(文庫版26巻179ページ)



余談。
「テルマエ・ロマエ」に出てくるのがハドリアヌスである。
映画版では戦争ばかりしているといった描写があったと思うが、積極的に戦争をしていたのはトライアヌスの方だろう。
ハドリアヌスは防衛線の確認・補強が主である。
ついでに、もう一つ。
ローマ史上、皇帝の暗殺は多々例があるが、意外にも裸になる浴場での暗殺はないという。
『ローマ人の物語〈21〉危機と克服』
ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
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ガルバ(68-69)、オトー(69)、ヴィテリウス(69)、ヴェスパシアヌス(69-79)、ティトゥス(79-81)、ドミティアヌス(81-96)、ネルヴァ(96-98)。

ネロが死んで、ユリウス・クラウディウス朝の血統は絶えた。
各地の総督が相次いで皇帝就任を宣言し、元老院はこれを追認することしかできない。
その間も、ユダヤの反乱、ガリア帝国の建国など混乱が続く。
それが、ガルバ、オトー、ヴィテリウスが皇帝となった約2年間の出来事である。
彼らは、トップとしての決断も実行もなく、何かするにしても配慮に欠けた行動をとり、まったく皇帝の任に堪えうる人物ではなかった。

この混乱を収めるのがヴェスパシアヌスだが、彼は東方にいた。
東方にいてこの混乱を見ていたが、ムキアヌスという良き協力者と、誠実な息子ティトゥスを従え、皇帝に名乗りを上げる。
ムキアヌスは名門の出身でもあることから、軍団の支持も得ていたが、彼は自分ではなくたたき上げのヴェスパシアヌスの方が適任であると考え、その補佐に徹する。
カエサル、アウグストゥス、ティベリウスが作り上げた帝国を、一級の実務家であるヴェスパシアヌスとムキアヌスで再建していくということであった。

ムキアヌスがイタリアに向かい、ティトゥスはユダヤの反乱対応。
ヴェスパシアヌスはどちらにも行けるエジプトに構える。
ムキアヌスは、ヴィテリウスをやぶり、ガリアの反乱を収める。
ユダヤの反乱についても、ティトゥスが処理。
ローマは多神教でもあり、死後の皇帝を神格化したりと、神がたくさんいることについて違和感を持たなかったが、一神教であるユダヤ教はそういうわけにはいかない。
彼らは彼らの教えの中で生きねばならない。
ローマの統治と相容れず、耐えられないと考えたときに反乱が起きる。
しかし、それはローマが非寛容ということになるかというと、そうは思わない。
ローマは、ローマの統治の枠組みの中でならば、信仰が何であれ構わなかったからである。

ユダヤの反乱の鎮圧を見届けてヴェスパシアヌスはローマに入り、ムキアヌス、ティトゥスらとともに、帝国の再建を行っていく。
ところで、財源確保のために、公衆便所に溜まる小便を集めてきて、羊毛に含まれる油分を抜くのに使う繊維業者に課された税があるという。

ヴェスパシアヌスのあとは息子のティトゥスが順当に跡を継ぐ。
彼の治世は2年と短いが、この間にヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイの街が埋まった。
またイタリアを疫病が襲うという事態も重なり、彼の治世はこれらの対応におわれるものであった。
そして、心労によるものか、2年で倒れてしまう。

ティトゥスの死後は、弟のドミティアヌスが帝位に就く。
彼は、若いうちに父・兄が帝位に就き、自らは前線の軍務経験をすることもなく帝位に就いてしまった。
今までの皇帝も、実際の経験の有無が、物事を見る目の確かさ、あるいはその逆となって現れており、彼もまたそこから脱することはできなかった。
しかし、ライン川・ドナウ川防衛線については確かな対応をしており、「リメス・ゲルマニクス」という防壁を建設した。

治世の半ばに、ライン軍団が反乱を起こすが、スペインにいたトライアヌスにこれを鎮圧させる。なお、トライアヌスはこれがきっかけで後の皇帝への道を拓くことになる。
反乱の首謀者とこれに連なるものは処刑されている。
また、ドナウ川の向こうのダキアとの戦いで和平協定を結んだが、金で解決したと見られたところが、ローマ人の不評を買った。
さらに反対派の元老院議員の処刑なども行い、ドミティアヌスに対する不満が高まっていく。
こののちドミティアヌスは暗殺される。
不満を募らせた元老院議員にではない。
家庭内のもめごとが原因で暗殺されたのだった。
渡りに船とばかりに元老院はネルヴァを引っ張り出して帝位に就け、ドミティアヌスを「記録抹殺刑」に処す。

ネルヴァはいわゆる五賢帝の最初の皇帝である。
しかし帝位に就いたのは70歳である。
元老院にとって害のある人物ではなかったから引っ張り出されたようである。
ネルヴァはトライアヌスを後継に指名し、寿命を迎えた。
何をもって「賢帝」とするのかやや疑問のあるところではある。
とはいえ、兎にも角にも賢帝の時代は始まった。
次巻。



メモ。

人間には、自らが生きた時代の危機を、他のどの時代の危機よりも厳しいと感じてしまう性向がある。
(文庫版21巻19ページ)

平凡な資質の持ち主は、本能的に、自分よりも優れた資質の持ち主を避ける。自分にない才能や資質を迎え入れることで、自分自身の立場を強化するなどという思考は、平凡な出来の人には無縁なのだ。とはいえこれをできたら、もはや平凡ではなくなるのだが。
(文庫版21巻60ページ)

玉砕は、後世を感動させることはできても、所詮は自己満足にすぎない。
(文庫版22巻124ページ)

戦争状態が長びけば長引びくほど、敵側にも味方の側にも憎悪の感情が増幅しないではすまない。反対に、短期間に解決すればそれが避けられる。そして戦後の処理や対策も、怨念に邪魔されることなく理性的に行えるのだった。
ローマの武将たちの多くに共通する特色は、武人らしい見栄、ないしは虚栄心に無縁であった点である。彼らは、少数の敵を多数で攻めることに何のためらいもなかった。多勢で攻めるのは、解決を早めるとともに敵味方双方の犠牲を少なくするためでもあったからである。
・・(中略)・・
精神力のような非確定要素は最後にくるのだ。第二次大戦当時の日本軍では、この非確定要素が第一位に来た。敗れたのは当然の帰結である。
(文庫版22巻153ページ)

社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかないからである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。現代でも問題になっている人種差別感情が意外にも社会の低層に強い現象を思い起こすだけで、この問題の深刻さは理解できよう。それが古代のローマのように、社会の階級別を認め、ただし階級間の流動性を認めるならば、外部の人々の流入を拒絶する理由はなくなる。まずは下層に入ってもらい、その後の上昇はその人しだい、というわけだ。一方、はじめから実力を示せる人に対しては、その実力にふさわしい階級への参入をただちに認める。民主政を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和政時代には元老院主導という形での寡頭政、帝政時代に入ると君主政に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に値すると確信する。古代のローマは、あの時代の限界が許す限りという条件つきにしろ、機会均等を実現した社会なのであった。
(文庫版22巻191、192ページ)

歴史家ギボンは、ローマがなぜ滅亡したのかと問うよりも、ローマがなぜあれほど長く存続できたのかを問うべきである、と言った。多民族、多宗教、多文化という、国家としてはまとまりにくい帝国であったにかかわらず、なぜあれほども長命を保てたのか、ということのほうを問題にすべきだ、という意味である。だが、それに対する答えならば簡単だ。ローマ人が他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしてしまったからである。大英帝国の衰退は各植民地の独立によるが、ローマ帝国では、各属州の独立ないし離反は、最後の最後まで起こっていない。
(文庫版23巻69ページ)

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