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『ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記』
ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫) ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫) ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)
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イタリア半島統一(BC270頃)からポエニ戦争後(BC140頃)まで。

シチリアを巡る紛争から海運国カルタゴと争うこととなったローマ。
海戦は苦手なはずだが、敵船と自船をつなげる方法を編み出し、陸戦さながらに勝利を重ねる。

前回の末尾で述べたとおり、ローマは海の民ではない。
海戦は不得手だったことを自ら認識し、海上の戦いを陸上のそれと同等にするために、船に“カラス”と呼ばれるものを取りつけた。
筒状の棒(というには太いが)を船に立てておき、それを敵船めがけて倒し、橋渡しをするというもの。
ローマは白兵戦では敵なしだったので、この“カラス”による作戦が功を奏し、海戦でも勝利した。

もう一つ、カルタゴは象部隊を持っていた。
火器が発達するまでは、象は戦車のようなもので、世界のほかの地域でも象部隊を使った例はある。
しかし数度の戦いを経て、象部隊に慣れたローマはこれも破る。
そうしてシチリアを勢力に入れ、周辺の制海権を得て、カルタゴを圧迫した。

ローマは、プライドがないという見方もできるくらいに、他民族のものを遠慮なく取り入れ、合理的に活用する能力を持っていた。
これがローマが強大になった理由ではないかと思われる。
しばしば自己のプライドに縛られ身動きが取れなくなっている人あるいは組織を目にするが、そういう人・組織は決して強くならない。
自分が何でもできるとは思わず、取り入れるものは取り入れる、任せるものは任せるという割り切り具合、合理性、柔軟性が、ローマを強大にしたのではないか。

ローマが好きな、仕組み化・マニュアル化の一つとして、行軍・野営に関する記述がある。
ローマ軍全体は、ローマ本体の軍と同盟市等の軍からなるが、その行軍の順序が定まっている(事情によって臨機応変の対応はあったらしい)。
また、野営の陣地作りもマニュアル化されている。
これは、1年ごとに執政官(コンスル)も兵も入れ替わるから、だれがやっても同じ結果になるように、との必要性から生まれたらしい。
会社なんかでも仕事が属人化するとろくなことがないが、ローマ人はこの弊害を防ぐことに気を遣っていたのだろう。

第1次ポエニ戦争に敗北したカルタゴのハミルカルはイベリア半島を植民地化する。
ハミルカルの息子がハンニバル。
成長したハンニバルはアルプスを越え、北からイタリア半島に侵略。
ローマの指揮官の誰もハンニバルに勝つことができず、ハンニバルはイタリアを席巻。
しかし、首都ローマをすぐには落とさず、ローマ連合の解体を目指す。

ローマはハンニバルの補給線を断つべく、カルタゴからの援助を封じ、イベリア半島に軍を送ることで対抗。
イタリア半島内でも、直接の会戦を避け、持久戦に持ち込む。

イベリア半島には派遣された、というか自ら志願したわけだが、スキピオはこれを制圧、のち、北アフリカに侵攻。
ハンニバルはカルタゴに呼び戻され、スキピオと決戦。
勝利したのはスキピオ。
これで地中海の西半分の覇権はローマが握る。
こののち、マケドニア、カルタゴも滅ぼし、小アジアまで手が届くようになる。

主戦力の非戦力化、ということが繰り返し言われていた。
ハンニバルにせよスキピオにせよ---と言ってもスキピオはハンニバルの戦術を学んだから当然同じなのだが---敵軍の主戦力を足止めしている間に、敵の非主戦力を騎兵などで撹乱し、そののち敵軍全体を包囲殲滅するという戦法が多かったように思う。
真正面からぶつかるのではなく、自軍の兵科の有機的活用ということが何度も言われていた。

軍事の話題は忌避されがちだが、組織を最も効率よく動かすにはどうすべきかという観点ではよく練られているので、他の組織においてもそれを応用することは可能と思う。

シチリアという穀倉地帯を得たことでイタリア半島の農業に変化が生じ、領土が拡大したことでさらに外の国・民族と接することとなったローマ。
そういった変化から、数百年続いてきた政治体制がうまく機能しなくなり、改革しようとする者が現れ、ローマに内乱が生じる。
次巻。



いくつか言葉をメモしておく。

年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。
(文庫版5巻22ページ)

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
(文庫版5巻53ページ)

現代の研究者でも、古代=奴隷制社会=搾取、ゆえに悪、と断定して疑わない幸福な人は別として、紀元前二〇〇年のここまでのローマ人を悪く評する人はほとんどいない。
(文庫版5巻94ページ)

最後のは少し説明が必要だろう。
奴隷というと、鞭打たれながら死ぬまで肉体労働に従事させられるというイメージが何となくあるが、ローマの奴隷はそうではない。
単に、戦争に負けて捕えられた人々といった感じで、特殊な技能を持つ人は高い給料をもらっていたようである。
特に、これは後々の巻で詳しく述べられるが、ギリシア人の家庭教師などは貴族の子弟の教育のために必要で、またそういった子弟が成長して国政に携わるようなときには、協力者として、必要な存在であり、奴隷の中でも地位の高いものとして遇されていた様子。
そして、奴隷であっても一定の条件を満たせばローマ市民権を得ることができた。
奴隷だからという差別はなかったようである。
ある民族が他の民族より優れているといった幻想・妄想に基づくものではなく、単なる勝者と敗者でありそれ以上の意味はなかったようである。
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