月の歴史講座

■ 最近の記事

■ カテゴリー

■ 最近のコメント

■ 最近のトラックバック

■ プロフィール

月

Author:月
歴史好きが高じて、ついにこんなサイトを立ち上げました。
暇つぶしに見てくださいませ。

■ カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
『ローマ人の物語〈21〉危機と克服』
ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈21〉危機と克服〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈22〉危機と克服(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈23〉危機と克服〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈24〉賢帝の世紀〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈25〉賢帝の世紀〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)
by G-Tools

ガルバ(68-69)、オトー(69)、ヴィテリウス(69)、ヴェスパシアヌス(69-79)、ティトゥス(79-81)、ドミティアヌス(81-96)、ネルヴァ(96-98)。

ネロが死んで、ユリウス・クラウディウス朝の血統は絶えた。
各地の総督が相次いで皇帝就任を宣言し、元老院はこれを追認することしかできない。
その間も、ユダヤの反乱、ガリア帝国の建国など混乱が続く。
それが、ガルバ、オトー、ヴィテリウスが皇帝となった約2年間の出来事である。
彼らは、トップとしての決断も実行もなく、何かするにしても配慮に欠けた行動をとり、まったく皇帝の任に堪えうる人物ではなかった。

この混乱を収めるのがヴェスパシアヌスだが、彼は東方にいた。
東方にいてこの混乱を見ていたが、ムキアヌスという良き協力者と、誠実な息子ティトゥスを従え、皇帝に名乗りを上げる。
ムキアヌスは名門の出身でもあることから、軍団の支持も得ていたが、彼は自分ではなくたたき上げのヴェスパシアヌスの方が適任であると考え、その補佐に徹する。
カエサル、アウグストゥス、ティベリウスが作り上げた帝国を、一級の実務家であるヴェスパシアヌスとムキアヌスで再建していくということであった。

ムキアヌスがイタリアに向かい、ティトゥスはユダヤの反乱対応。
ヴェスパシアヌスはどちらにも行けるエジプトに構える。
ムキアヌスは、ヴィテリウスをやぶり、ガリアの反乱を収める。
ユダヤの反乱についても、ティトゥスが処理。
ローマは多神教でもあり、死後の皇帝を神格化したりと、神がたくさんいることについて違和感を持たなかったが、一神教であるユダヤ教はそういうわけにはいかない。
彼らは彼らの教えの中で生きねばならない。
ローマの統治と相容れず、耐えられないと考えたときに反乱が起きる。
しかし、それはローマが非寛容ということになるかというと、そうは思わない。
ローマは、ローマの統治の枠組みの中でならば、信仰が何であれ構わなかったからである。

ユダヤの反乱の鎮圧を見届けてヴェスパシアヌスはローマに入り、ムキアヌス、ティトゥスらとともに、帝国の再建を行っていく。
ところで、財源確保のために、公衆便所に溜まる小便を集めてきて、羊毛に含まれる油分を抜くのに使う繊維業者に課された税があるという。

ヴェスパシアヌスのあとは息子のティトゥスが順当に跡を継ぐ。
彼の治世は2年と短いが、この間にヴェスヴィオ火山が噴火し、ポンペイの街が埋まった。
またイタリアを疫病が襲うという事態も重なり、彼の治世はこれらの対応におわれるものであった。
そして、心労によるものか、2年で倒れてしまう。

ティトゥスの死後は、弟のドミティアヌスが帝位に就く。
彼は、若いうちに父・兄が帝位に就き、自らは前線の軍務経験をすることもなく帝位に就いてしまった。
今までの皇帝も、実際の経験の有無が、物事を見る目の確かさ、あるいはその逆となって現れており、彼もまたそこから脱することはできなかった。
しかし、ライン川・ドナウ川防衛線については確かな対応をしており、「リメス・ゲルマニクス」という防壁を建設した。

治世の半ばに、ライン軍団が反乱を起こすが、スペインにいたトライアヌスにこれを鎮圧させる。なお、トライアヌスはこれがきっかけで後の皇帝への道を拓くことになる。
反乱の首謀者とこれに連なるものは処刑されている。
また、ドナウ川の向こうのダキアとの戦いで和平協定を結んだが、金で解決したと見られたところが、ローマ人の不評を買った。
さらに反対派の元老院議員の処刑なども行い、ドミティアヌスに対する不満が高まっていく。
こののちドミティアヌスは暗殺される。
不満を募らせた元老院議員にではない。
家庭内のもめごとが原因で暗殺されたのだった。
渡りに船とばかりに元老院はネルヴァを引っ張り出して帝位に就け、ドミティアヌスを「記録抹殺刑」に処す。

ネルヴァはいわゆる五賢帝の最初の皇帝である。
しかし帝位に就いたのは70歳である。
元老院にとって害のある人物ではなかったから引っ張り出されたようである。
ネルヴァはトライアヌスを後継に指名し、寿命を迎えた。
何をもって「賢帝」とするのかやや疑問のあるところではある。
とはいえ、兎にも角にも賢帝の時代は始まった。
次巻。



メモ。

人間には、自らが生きた時代の危機を、他のどの時代の危機よりも厳しいと感じてしまう性向がある。
(文庫版21巻19ページ)

平凡な資質の持ち主は、本能的に、自分よりも優れた資質の持ち主を避ける。自分にない才能や資質を迎え入れることで、自分自身の立場を強化するなどという思考は、平凡な出来の人には無縁なのだ。とはいえこれをできたら、もはや平凡ではなくなるのだが。
(文庫版21巻60ページ)

玉砕は、後世を感動させることはできても、所詮は自己満足にすぎない。
(文庫版22巻124ページ)

戦争状態が長びけば長引びくほど、敵側にも味方の側にも憎悪の感情が増幅しないではすまない。反対に、短期間に解決すればそれが避けられる。そして戦後の処理や対策も、怨念に邪魔されることなく理性的に行えるのだった。
ローマの武将たちの多くに共通する特色は、武人らしい見栄、ないしは虚栄心に無縁であった点である。彼らは、少数の敵を多数で攻めることに何のためらいもなかった。多勢で攻めるのは、解決を早めるとともに敵味方双方の犠牲を少なくするためでもあったからである。
・・(中略)・・
精神力のような非確定要素は最後にくるのだ。第二次大戦当時の日本軍では、この非確定要素が第一位に来た。敗れたのは当然の帰結である。
(文庫版22巻153ページ)

社会の構成員ならば全員平等、とするとかえって、外部の人々を疎外するようになるのである。新たに入ってきた人に対し、すぐにも既存の人同様の権利を認めるわけにはいかないからである。認めようものなら、既存の人々からの反撥が起こる。現代でも問題になっている人種差別感情が意外にも社会の低層に強い現象を思い起こすだけで、この問題の深刻さは理解できよう。それが古代のローマのように、社会の階級別を認め、ただし階級間の流動性を認めるならば、外部の人々の流入を拒絶する理由はなくなる。まずは下層に入ってもらい、その後の上昇はその人しだい、というわけだ。一方、はじめから実力を示せる人に対しては、その実力にふさわしい階級への参入をただちに認める。民主政を守るために全員平等を貫くしかなかったギリシアの都市国家アテネが、意外にも、他のポリス出身者や奴隷に対して閉鎖社会であったという史実。そして、共和政時代には元老院主導という形での寡頭政、帝政時代に入ると君主政に変わるローマのほうが、格段に開放社会であったという史実は、現代でもなお一考に値すると確信する。古代のローマは、あの時代の限界が許す限りという条件つきにしろ、機会均等を実現した社会なのであった。
(文庫版22巻191、192ページ)

歴史家ギボンは、ローマがなぜ滅亡したのかと問うよりも、ローマがなぜあれほど長く存続できたのかを問うべきである、と言った。多民族、多宗教、多文化という、国家としてはまとまりにくい帝国であったにかかわらず、なぜあれほども長命を保てたのか、ということのほうを問題にすべきだ、という意味である。だが、それに対する答えならば簡単だ。ローマ人が他民族を支配するのではなく、他民族までローマ人にしてしまったからである。大英帝国の衰退は各植民地の独立によるが、ローマ帝国では、各属州の独立ないし離反は、最後の最後まで起こっていない。
(文庫版23巻69ページ)
スポンサーサイト










管理者にだけ表示を許可する


トラックバックURL:

■ 目次

目次はこちら

■ アニメーションの見方

アニメーションの見方はこちら

■ ブログ内検索

■ amazon

■ リンク

このブログをリンクに追加する

■ 歴史サイトリンク

■ RSSフィード


copyright 2005-2007 月の歴史講座 all rights reserved. powered by FC2ブログ. designed by マンション購入記
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。