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『ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国』
ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
塩野 七生

ローマ人の物語〈32〉迷走する帝国〈上〉 (新潮文庫 し 12-82)
ローマ人の物語〈33〉迷走する帝国〈中〉 (新潮文庫 (し-12-83)) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫)
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211-284まで。

帝政以前は出来事で、帝政以降は皇帝名を書いてきたが、ここでは20人を超える皇帝が現れる。
ものすごく大雑把に言えば、ある皇帝が立っても失政あるいは軍事上の失点があり、別の皇帝が立ち、争う、の繰り返しである。
それぞれの皇帝がどのように現れ、どのように戦ったか、の繰り返しである。
対外的には、ライン川・ドナウ川の向こう側にいる蛮族からのローマの防衛、ユーフラテス川・中東をめぐるパルティア・ササン朝ペルシアとの争いである。

五賢帝時代の後に起こった混乱を収めたのがセプティミウス・セヴェルスであったが、彼の後を継いだカラカラ帝である。
「カラカラ浴場」で知られる皇帝である。
ローマ帝国には市民権を持つ者と持たない者がいた。
市民権を持つ方が有利であったが、カラカラはすべての国民に市民権を与えることとした。
ローマ市民権を持たないのは属州民であり、属州税を徴収していたがこれがなくなった。
そして市民権を持つ者への増税を図ったが当然これに対する反発は強く、すぐに元に戻された。
ローマは少ない軍隊で安全保障をすべく防衛線を築き上げ、そのやりくりのための税制を、国民の反発を招かない税制を維持してきたが、それがここで崩れ始めたのである。
また軍団兵になることで市民権を得るという特典があったが、だれもが市民権を持つならばこれも特典ではなくなった。
ローマ市民である軍団兵は、属州出身者による補助兵と異なり給料も支払われるから、財政にも影響を及ぼした。

アテネの市民権は、アテネ人の血が流れていることが条件であった。
ローマの市民権は、ローマに征服された民族にも付与された。ローマの同化政策といわれる所以である。
ローマにおいては、異分子であっても努力次第で市民権を得ることができるという流動性のある社会であり、これがうまく機能していた。
最初からすべて平等だというから、軋轢が生まれるのであって、努力次第となればそのような妙な軋轢も生まれないで済んでいた。

若いカラカラの浅慮が市民権の性質を一変させてしまった。
塩野先生はここでカエサルの言葉を引用している。
「どんなに悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は、善意によるものであった」

また、カラカラは各軍団から若い兵を集めた機動部隊を創設する。
この部隊をもって各地の戦線を移動したのだが、そのため各軍団の高齢化が進み、蛮族の侵入を激化させる要因ともなった。

極めつけは、カラカラがパルティアの王女を妻に迎えようとしたことだった。
子が生まれてローマ皇帝を継ごうものなら、母の生家であるパルティアに乗っ取られるおそれがあり、国民の反発を招いた。

数々の失策を重ねたカラカラは暗殺された。

この後はマクリヌスが擁立された。
カラカラの叔母ユリア・メサは孫のヘラガバルスを帝位につけるべく、兵を煽ってマクリヌスを暗殺。
オリエントに傾倒していたヘラガバルスは国民の反発を買い、ユリア・メサはもう一人の孫アレクサンデル・セヴェルスを擁立。
法学者ウルピアヌスの補佐を得、しばらくの平和が訪れる。

その間東方ではパルティアがササン朝ペルシアに滅ぼされる。
ローマとパルティアはユーフラテス周辺で争っていたものの、お互いに蛮族の対応もしていたこともあり、交易でのつながりもあり、ある意味では共生していた。
しかしササン朝ペルシアは小アジアまで支配していたかつてのアケメネス朝ペルシアの再興を目指したため、必然的にローマと和することはなくなった。

ウルピアヌスはアレクサンデルの治世の半ばに、反対派によって暗殺される。
その後もアレクサンデルは政務に努め、ペルシアと戦い、その後はゲルマン民族とも戦った。
蛮族への対応として和平交渉を行ったが、これを弱腰と見た軍の反乱に遭い、陣中で母もろとも暗殺された。
こののちいわゆる“軍人皇帝時代”に突入する。
なお、そもそもローマ皇帝はローマ全軍の総司令官もであるから必ず軍人の側面を持っている。

軍人皇帝時代の皇帝について列記することはしない。
ローマのなすことは、ゲルマン民族の侵入を防ぐこと、ペルシアの侵入を防ぐこと、これによりローマの安全を守ることに尽きる。
代々の皇帝はこれを為すことを求められ、その能力なしとみなされれば暗殺されるか、皇帝を名乗り出た別の人物に取って代わられた。
この繰り返しでしかない。
しかし、そうやって争ううちに人材は減り、政策の継続性も維持されなくなる。
それがローマ弱体化の一因ともなる。

一つの象徴的な事件として、ローマ皇帝ヴァレリアヌスが、ペルシアとの戦闘中、捕えられ奴隷にされるということがあった。
戦死する皇帝はいても、奴隷になる皇帝はおらず、衝撃的な事件だった。
帝位は息子のガリエヌスが継ぐが、ヴァレリアヌス奪還の戦いをする余裕はなかった。

そのガリエヌスが制定した重要な法律がある。
元老院議員は軍の将官にはなれないとしたのである。
従来ローマでは、指導者クラスには政治・軍事の区別なく様々な役職を経験し、広い視野を持つ人材が育つ仕組みを持っていた。
それが崩れてきてはいたが、ここへきて決定的になったのである。
これにより、以降、政治も軍事も分かる人材が出現しなくなったことはローマにとって大きな痛手であった。

また、ヴァレリアヌスが捕らわれたことをきっかけに、ブリタニア・ガリア・ヒスパニアがガリア帝国を興し、シリア・エジプトではパルミア王国が生まれた。
ローマが3分されたのがガリエヌスの時代だった。
このまま滅んでもおかしくないほどの混乱だったが、10年後に皇帝となったアウレリアヌスによって帝国は一つに戻る。

アウレリアヌスはローマに城壁を作る。
カエサルがローマから城壁を除き、その後の皇帝たちによってローマの防衛線はライン川・ドナウ川・ユーフラテス川と確立され、ローマには城壁は不要であったが、もはやそれも許されない時代になったということだった。

しかし、ローマ再興に力を尽くしたアウレリアヌスも暗殺され、その後も同じことの繰り返しが続く。
そして、ペルシア遠征中の皇帝カルスが落雷に遭って死ぬ。
息子のヌメリアヌスが帝位を継ぐが行軍中に変死を遂げ、茫然自失のローマ軍中にて、ディオクレティアヌスが皇帝となる。
彼の登場で軍人皇帝時代は終わりを告げる。
次巻。



メモ。

正当であるのは明らかな実力重視路線だが、人間世界のすべてのことと同じに、利点があれば欠点もある。実力主義とは、昨日まで自分と同格であった者が、今日からは自分に命令する立場に立つ、ということでもある。この現実を直視し納得し受け入れるには相当な思慮が求められるが、そのような合理的な精神を持ち合わせている人は常に少ない。いわゆる「貴種」、生れや育ちが自分とかけ離れている人に対して、下層の人々が説明しようのない経緯を感ずるのは、それが非合理だからである。多くの人にとってより素直に胸に入ってくるのは、合理的な理性よりも非合理的な感性のほうなのだ。
(文庫版34巻157、158ページ)

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