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『ローマ人の物語〈35〉最後の努力』
ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈35〉最後の努力〈上〉 (新潮文庫)
ローマ人の物語〈36〉最後の努力〈中〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈37〉最後の努力〈下〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈34〉迷走する帝国〈下〉 (新潮文庫 し 12-84) ローマ人の物語〈38〉キリストの勝利〈上〉 (新潮文庫) ローマ人の物語〈39〉キリストの勝利〈中〉 (新潮文庫)
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ディオクレティアヌス(284-305)、コンスタンティヌス(306-337)。

ディオクレティアヌスは皇帝就任早々マクシミアヌスを共同皇帝に任命し、帝国西方を担当させる。
西方はライン川・北アフリカの対応、東方はドナウ川・ペルシアの対応と言える。

ローマに限らないだろうが、治安、防衛は重要課題である。
平和が維持できなければ、生産に従事する人が減少する。生産しても奪われるからだ。
また、物流にも支障が出、経済活動が低下する。
経済活動が低下すれば失業者が増大する。

ディオクレティアヌスは、東西両方に、さらに副帝を置き、ローマの防衛を確立しようとした。
4人の皇帝が軍団を持つことでローマの軍事負担は増した。
軍事面での変化としては、主力が歩兵から騎兵に変わった点がある。
蛮族は騎兵で押し寄せるため、これに対抗できる機動性を確保するため、ローマ軍も騎兵を中心に据えざるを得なかった。
そうすると、騎兵は蛮族から調達するしかなく、軍に蛮族を組み入れていった。

ディクレティアヌスは、内政においても十分に機能するように組織を分け、専従させることとした。
しかし、かえって人材の流動性がなくなり、各組織は縦割りとなり、自組織の肥大化を招く結果を招いた。

また、職業の世襲制もしかれた。
これにより、社会全体の人材の流動性が損なわれることとなった。

結果はどうあれ、ディオクレティアヌスはローマの再興のために尽力していた。
そして、彼が帝位に就くまでにあった内乱を避けるべく、引退した。
引退したのちも彼の作った4人の皇帝による統治がうまくいくと思ったのだろうか。
実際には、皇帝たちと、帝位を継げると考えた皇帝の息子たちの権力争いが生じ、結局内乱となった。

内乱を勝ち抜いたのがコンスタンティヌスである。
彼は、現在のイスタンブルであるコンスタンティノープルを建設し、ミラノ勅令でキリスト教を公認した。

ローマはもともと多神教の国である。
キリスト教の神が加わったところで、数ある神が増えるに過ぎない。
しばしば皇帝がユダヤ教・キリスト教に厳しい態度で臨んだのは、彼らがその教義ゆえにローマ人としての義務を果たさなかったことが理由であって、教義の違いによるものではない。
だから、公認するといったこと自体は何らおかしなことではなかった。

ローマの皇帝は、元老院と市民の承認を得て帝位に就く。
帝位の正当性はそこにあった。

コンスタンティヌスは、唯一の神から帝位を与えられたとすれば、それが正当性になると考えた。
その種をまいたのがミラノ勅令である。

こうして、ディオクレティアヌス、コンスタンティヌスによって、ローマはその仕組みを大きく変え、キリスト教が台頭していく。
次巻。

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