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『ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち』
ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈18〉悪名高き皇帝たち(2) (新潮文庫) ローマ人の物語〈19〉悪名高き皇帝たち(3) (新潮文庫) ローマ人の物語〈20〉悪名高き皇帝たち(4) (新潮文庫) ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫)
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ティベリウス(AD14-37)、カリグラ(37-41)、クラウディウス(41-54)、ネロ(54-68)。

アウグストゥスはカエサルから後継者として指名されたことで、第一人者としての“正統性”を持っていた。
アウグストゥスは、帝政を継続するために、後継者の血統にこだわった。
自分の血統であることを“正統性”にしようとした。
ティベリウスは、名門クラウディウス家の出自であるが、そのような“正統性”がなかった。
そのため彼もまた第一人者の地位にあることに慎重であった。
カエサル、アウグストゥスが築いた帝政を根付かせることが彼の役割であり、アウグストゥス同様忍耐の求められるものだった。
市民・元老院を刺激してはとても為し得ない。

アウグストゥスの40年の治世で作られた基盤を、メンテナンスしながら継続していくという地味な役回りを持ったティベリウスだったが、彼はその任に適していた。
政治とはパフォーマンスではない。
平和は不断の努力なくして成り立たない。
インフラも、システムも、国防も、すべてに目を配り、修復すべき点は速やかに修復することの連続である。
生じた問題を解決するのではなく、問題が生じないようにするのである。
問題が生じないから功績の有無さえ目に見えないのである。

そのようなことを黙々とこなしたティベリウスだったが、人気を取ることに気を払わなかった性格から、後年は隠遁して統治を行うようになる。
元老院からは非難の的となるが意に介さない。
ギリシアのペリクレスも、アウグストゥスも、偽善を行えた人であった。
それぞれ民主政・共和政を唱えながら、実態は独裁であった。
話を戻す。
ティベリウスがローマを離れて統治を行えたのは、それだけ平和であったということだ。
平和を維持するだけの仕組みが機能していたということだ。

なお、国防の点では、ライン川・ドナウ川・ユーフラテス川で線を引いていく。
ここで活躍していたのがゲルマニクスであり、彼はアウグストゥスの血縁であった。
ティベリウスの後継はゲルマニクスというのが衆目の一致するところだが彼は若くして死に、彼の子のカリグラがティベリウスの跡を継ぐことになる。
カリガとはローマの軍靴だが、ライン川防衛線の軍団内で幼児期を過ごした彼は小さな軍靴という意味のカリグラがそのまま愛称となった。
若くして皇帝となり、、、若いことは罪ではないが、治世の経験がなかったこともあり、アウグストゥス・ティベリウスのような忍耐もなかった。
ティベリウスが市民に人気がなかったことだけは見ていたために、ティベリウスが行わなかった娯楽スポーツを大盤振る舞いし、次第に財政が行き詰っていく。
外政面でもアルメニア・マウリタニアの動向が危ぶまれるなど失策を重ねる。

帝政になってからは、唯一の権力者が変わるのはその死を待つしかない。
カリグラを“育てた”ライン軍団の指揮官たちがカリグラを暗殺した。
自分の子の不始末のけりをつける、とでもいうように。

カリグラが暗殺されるとクラウディウスが引っ張り出されて皇帝となる。
カリグラの叔父にあたるが、体が弱いこともあり、誰も皇帝になるとは思っていなかった人物である。
本人も自覚があったのだろう、歴史の研究に生涯を費やしていた。
それが高齢になって突然国のトップに立つことになった。
しかし歴史を研究していただけに彼は自分の役割を認識し、カリグラが荒らした統治システム・財政を回復させることに力を注ぐ。
またこの頃は、ティベリウスが選任した人材たちが健在であり、彼らを活用すれば良いという利点もあった。
統治にまじめに取り組んだクラウディウスだったが皇妃となったアグリッピーナに暗殺される。
アグリッピーナが前夫との子ネロを帝位にすえるため、毒殺したのであった。

カリグラは20代で皇帝になったが、ネロは二十歳前で皇帝になった。
国防の面ではあいかわらずパルティア含む東方が重要であったが、コルブロや、のちに皇帝となるヴェスパシアヌスがいたために、大過なく処理はしていた。
彼はギリシア文化に傾倒し、ローマ市民の失笑を買う。
治世の後半にはコルブロをはじめ前線の指揮官を、確たる証拠もなくネロ暗殺の容疑で処刑する。

まず決起したのはガリアであった。
しかしガリアのローマからの独立ではなく、ローマ市民としての決起であったことが興味深い。
ガリアは紛れもなくローマの一部と化していた。
属州の総督も反ネロに立ち、元老院からも「国家の敵」との宣告を受け、近衛軍団も頼ることができずネロは逃亡するが、逃げ切れないと悟り自死する。

ネロの死により、アウグストゥスから始まるユリウス・クラウディウス朝は断絶する。
しかし、元老院は共和制には戻ろうとせず、新たな皇帝を擁する決定をする。
属州総督のガルバがそれであった。
次巻。



メモ。

外交による解決と聴くと、現代人は、その中でもとくに日本人は、平和裡に話し合った末での解決と思ってしまう。だが、軍事力を使って脅した後で握手する、というのも外交である。いや、それこそが最も有効な外交であることは、歴史が証明してくれている。なぜなら人間とは、理で眼を覚ます場合は少ないのに、武力を突きつけられれば眼を覚ますものだからだ。
(文庫版17巻130ページ)
『ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ』
ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈15〉パクス・ロマーナ(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈16〉パクス・ロマーナ(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈17〉悪名高き皇帝たち(1) (新潮文庫) ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中) (新潮文庫)
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アウグストゥスの統治の始まり(BC29)からその死(AD14)まで。

アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラを破り、オクタヴィアヌスはローマ唯一の権力者となる。
第二回三頭政治の残る一人レピドゥスはオクタヴィアヌスとの政争に負け、隠棲したらしい。

アウグストゥスと呼ばれることになるのでここからはこれで通す。
アウグストゥスが権力者となったとき、彼はまだ34歳であった。
彼はカエサルの暗殺を見ており、自身の余生は長いことから、帝政への移行を焦らなかった。
自身はローマの第一人者であるとして、元老院とともに、共和政のもとローマを統治していく・・・ふりをした。
彼は、政策への拒否権、身体の不可侵等の護民官特権を持ち、軍の総司令官でもあり、、、といった具合に、個々の権利自体は合法的に、しかしすべて総合すると名実ともに絶対的な権力者となっていった。
それを長い統治期間をかけて、ローマ市民・元老院たちに慣れさせていった。

権力を固めていきながら彼が行ったのは、カエサルの改革・暗殺、内戦を経て混乱した統治体制・属州の整備である。
カエサルはほとんどすべてを一人で行っていた感がするが、アウグストゥスにはアグリッパとマエケナスという同年代の協力者がいた。
軍事・公共事業の面ではアグリッパが、外交・文化・広報の面ではマエケナスが、それぞれアウグストゥスを補佐した。
なお、現代の“メセナ”の語源がマエケナスである。

アウグストゥスの政策の一つに少子化対策があったことは興味深い。
安定したローマにおいて、ローマ市民は独身生活に困ることがなかったという。
そこでアウグストゥスは、独身者と既婚者の間に差を設け、独身であると、社会的・経済的に不利になる法案を通した。
現代であればこのような法案は大バッシングを受け廃案になりそうなものだ。
塩野先生曰く、「神の前に誓った関係を解消するなど論外というキリスト教に対して、禁じはしないが決行した場合の不利益は甘受しなければならないというローマ人の考え方は興味深い」
なお、キリスト教がヨーロッパで広まるのはもっと後のことである。
ローマもギリシアも多神教であり、ユダヤ教やキリスト教のような一神教ではない。
日本も八百万の神という言葉があるように一神教のような思想は持っておらず、元来、古代ローマの方が親和性が強いだろう。

ローマの兵士は志願制に変わったが、質は落ちていない。
それは国家の要職を目指すには軍務経験が必須だったからである。
現代では文民統治が当然のようになっているが、古代ローマにおいては、国を率いる者は、物理的に外敵から国を守る必要もあり、必然的に軍事に携わらざるを得なかった。
「戦争=悪」という単純な考え方では理解できないだろう。
また、有能な指揮官でなければ軍に損害が生じる。
損害とはすなわち兵の死である。
無能な人間に率いられる組織は無用な犠牲を強いられる。
これは軍でなく、政治組織でも同様であろう。
組織の運営能力は、軍事・内政問わず、重要な能力である。



アウグストゥスは、共和政の振りをしながら帝政を固めていくという常人にはできないことをやってのけた。
相当な忍耐の持ち主だったと思われる。
帝国の平和は不断の努力からしか成り立たない。
想像もつかないほど気疲れしそうだが彼は長寿であった。
アグリッパやマエケナス亡き後も独りで黙々と統治を続けていた。
カエサルは、後継者としてアウグストゥスを指名したが、アウグストゥスは血にこだわったようである。
自分の後継者は自分の血を引くか一門から、と考えていたようである。
しかし、これは彼の努力だけではいかんともしがたく、年齢・能力共に十分なのは妻の連れ子のティベリウスであった。
ティベリウス自身、アウグストゥスの望みを知りつつ、血にこだわっていては後継者がおらず、自分がやるしかないということは分かっていたかもしれない。
AD14、77歳のアウグストスが死に、ティベリウスが跡を継ぐ。
次巻。



メモ。

平衡感覚とは、互いに矛盾する両極にあることの、中間点に腰をすえることではないと思う。両極の間の行き来をくり返しつつ、しばしば一方の極に接近する場合もありつつ、問題の解決により適した一点を探し求めるという、永遠の移動行為ではなかろうか。
自由と秩序は、互いに矛盾する概念である。自由を尊重しすぎると秩序が破壊され、秩序を守ることに専念しすぎると、自由が失われる。だが、この二つは両立していないと困るのだ。自由がないところに進歩はなく、秩序が守られていないと、進歩どころか今日の命さえ危うくなるからだ。
(文庫版15巻31、32ページ)
『ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後』
ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈14〉パクス・ロマーナ(上) (新潮文庫)
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カエサルがルビコンをわたった後(BC49)からアクティウムの海戦後(BC30)まで。

ローマには常駐の軍がない。
軍勢を率いてルビコンをわたったカエサルに対し、ポンペイウスや反カエサルの元老院議員らは逃げるしかなかった。
ポンペイウスはアドリア海を渡り東方へ脱出する。
イタリア半島内でポンペイウスに追いつけなかったカエサルは、一度西へ目を向ける。
ガリアは自分の勢力下だが、スペインと北アフリカがある。
ローマ帝国の東方はすべてポンペイウスの地盤と言って良い。
東方のポンペイウスと対決するには後顧の憂いをなくす必要があった。

ところで、古代のギリシアもローマも、軍務は市民の義務であった。
資産を持つ市民が、直接税の代わりに共同体に対して果たす義務であった。
奴隷には兵役は課されない。
マリウスが軍役を志願制に変えたが、ローマ市民権所有者のみが資格を持っていた。

北アフリカ戦線では配下のクリオが戦死したものの、カエサルはアドリア海をわたる。
ギリシアへ渡ったカエサルは苦戦を強いられドゥラキウムで撤退を余儀なくされる。
この時のあまりの撤退ぶりからポンペイウスはカエサルの策略を疑い追撃しなかったという。
このため九死に一生を得たカエサルは軍勢を整え、改めてファルサルスにてポンペイウスと決戦し、勝利する。

ドゥラキムでの敗戦時、カエサルは兵たちを叱った。
通常、敗戦の責任は指揮官に属し、兵を責めるものではないだろう。
塩野先生曰く、
---人間は、気落ちしているときにお前の責任ではないと言われると、ついほっとして、そうなんだ、おれの責任ではなかったのだ、と思ってしまうものである。こう思ってしまうと、再起に必要なエネルギーを自己生産することが困難になる。ついつい、指導者の判断待ちという、消極性に溺れこんでしまうものだ。カエサルは、これを避けたかったのだと思う。責任はお前たちにある、と明言することで、兵士たちが自分自身で再起するよう指導したのだと思う。---
これはカエサルだからできたことだろうと思う。
カエサルほどの実績あればこそ。
さほどでもない人物が単に真似事をすればかえって兵の反発を招き士気の低下を招かないかと。

ポンペイウスはエジプトに逃れるが、暗殺された。
エジプトはローマと関わりあいたくなく、亡命してきた過去の英雄ほど困った存在はなく、手に余る存在だったからだという。
これを受けたカエサルはエジプトに入国、内紛を調停したのち、帰国する。
なお、このときクレオパトラに出会っている。
カエサルは、ポンペイウスを生きて捕らえた場合どう処するつもりだったのだろう。
一方を脅かすほどの能力を持っていたり、担がれる因縁があったりするような人物の扱いほど難しいものはないように思う。
共に歩むことができればよいがそれも難しく、内乱のもととなりかねず結局その存在を消すしかない。
人間にとってはそれは死しかない。

カエサルは、ポンペイウス派の残党への対応と、いよいよ唯一の権力者となって国政改革に手を付ける。
国政について一つ一つ述べるのは大変だし、面白味がない、というか面白く書けないので大幅に割愛する。
戦って勝った負けたという話は分かりやすいのだが、内政の話はなかなか書きづらい・・・。

ローマはもはやイタリア半島のみを統治するのではなく、スペイン、ガリア、イタリア半島、アドリア海沿岸、バルカン半島、小アジア、エジプト、北アフリカと地中海を丸ごと内包する領域を持つに至っている。
これを統治するためには元老院中心の寡頭政では機能しないと判断し、独裁官に就任する。
属州の再編も行い、増えた属州の総督を務める資格を持つ者を増やすために法務官(プラエトル)らを増員。
経済の活性化のために通貨改革、金融改革を行う。
元老院、騎士階級だけでなく、解放奴隷も登用する。
この時代の奴隷は、単純労働として使役される存在ではないことは以前述べたとおりである。
首都の再開発も行い、街道・上下水道の整備を行う。

そしてカエサルはパルティア遠征を計画する。
カエサルのローマ防衛線構想は北はライン川、東はユーフラテス川だったので、クラッスス親子が戦死したカルラエの戦い以来のパルティア問題の処理は必須であった。

しかし、これは実現せずに終わる。
BC44年、元老院派、のみならずカエサル配下の者たちにより、カエサルが暗殺された。
カエサルが王位を狙っている、というのが表向きの理由だった。

スッラは、敵をすべて粛清したことで安全を得た。
カエサルは、戦闘以外で殺しはしなかった。
しかし、生き延びた人々は、命を助けられ、取り立てられ、後ろめたさを感じる。
後ろめたさの向かう先がカエサルの暗殺となった。
カエサルの暗殺についてイタリアの教科書にはこう書いてある。
「懐古主義者たちの自己陶酔がもたらした、無益どころか有害でしかなかった悲劇」

カエサルを暗殺した人々は、その後のローマの運営を全く考えていなかった。
殺した後も右往左往していただけである。
この頃、カエサル派の有力者としてはアントニウスがいた。
しかしカエサルの遺言状には誰も知らないオクタヴィアヌスが後継者として記されていた。
このときオクタヴィアヌスは18歳。
アントニウスは自分こそカエサルの後継者たらんとして暗殺者たちを滅ぼしていく。
オクタヴィアヌスは若くして忍耐と偽善を知っていて、世論を味方にしつつアントニウスとともに暗殺者を滅ぼす。
アントニウスは若造ならとるに足らずと思っていたのかもしれないが、オクタヴィアヌスの力を無視できなくなり、バランスをとるために誘い込まれたレピドゥスを含めた第二次三頭政治が成立する。
これは、絶大な力を持っていたポンペイウス、まだ正面切っての対決に踏み切れなかったカエサル、バランスをとるために誘われたクラッススの第一次三頭政治と全く同じ構図である。
アントニウスは自分がポンペイウスの立場にあることを気付かなかったのか。
あるいは気付いていても、ポンペイウスを滅ぼしたカエサル側にいたことからの余裕あるいは慢心があったのか。

エジプトではカエサルを失ったクレオパトラがアントニウスに近づき、東方での勢力を拡大しようとしていた。
このことは、ローマはローマ市民のものであり、東方のものではないと考えるローマ市民の反発を招き、アントニウスの勢力を減退させることとなった。
カエサルの死から10数年、自重し、勢力拡大に努めたオクタヴィアヌスはついにアントニウスをアクティウムの海戦で破り、ローマの第一人者となる。

ガリア遠征時のカエサルの副官はラビエヌスで、カエサルが最も信頼を置いたとされる。
しかし彼はポンペイウスのクリエンテスであったため、カエサルがルビコンをわたる際に、ポンペイウス側へ奔った。
後に、カエサルと戦い、敗死。
カエサル配下は他にはブルータス、クリオ、アントニウスといった面々が並ぶ。
ブルータスは後にカエサル暗殺に加わるも、カエサルの後継者たちに破れ、敗死。
クリオは北アフリカで戦死。
アントニウスは反カエサル派を破るも、オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)にアクティウムの海戦で破れたのち、自死。
そうして最後に残ったのは、カエサルが見込んだオクタヴィアヌスただ一人となった。

こうしてローマは共和政から帝政へと移行していく。
次巻。



メモ。

人間にとっては、ゼロから起ちあがる場合よりも、それまでは見事に機能していたシステムを変える必要に迫られた場合のほうが、よほどの難事業になる。後者の場合は、何よりもまず自己改革を迫られるからである。自己改革ほど、とくに自らの能力に自信をもつのに慣れてきた人々の自己改革ほど、むずかしいことはない。だが、これを怠ると、新時代に適応した新しいシステムの樹立は不可能になる。
(文庫版12巻109ページ)

孤独は、創造を業とする者には、神が創造の才能を与えた代償とでも考えたのかと思うほどに、一生ついてまわる宿命である。それを嘆いていたのでは、創造という作業は遂行できない。
(文庫版12巻115ページ)

カエサルの発言
「どれほど悪い結果に終わったことでも、それがはじめられたそもそもの動機は善意によるものであった」
(文庫版13巻39ページ)
『ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前』
ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫) ローマ人の物語〈11〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(上) (新潮文庫)
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カエサル誕生(BC100)からルビコンをわたる(BC49)まで。

文庫版は全43巻あるが、そのうち第8巻から第11巻までの6巻がカエサル。
一人の人物を追って6巻。
もちろん周囲の人物もあわせて描かれるわけだが、それでも6巻も。

前半は生まれてから、ガリア遠征を終えてルビコンをわたるまでの3巻。
後半はルビコンをわたって、ポンペイウスとの対決、ローマの体制の改革と、カエサルの後継者であるオクタヴィアヌスがアントニウスとクレオパトラを破るまでの3巻。


カエサルはマリウスの縁戚だったこともあり、スラによる粛清の対象だったが、逃亡して生き延びた。
カエサルの幼年期のところでこのような記述がある。
「・・・母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは、絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。楽天的でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。そして、男にとって最初に自負心をもたせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。そして、過去に捕われずに未来に眼を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。」
(文庫版8巻40ページ)
確かにガリア遠征の時もポンペイウスとの対決の時も、危機一髪だったり、戦力的に厳しそうだったのに、カエサルはよく切り抜けられたなと思うことがしばしば。

カエサルの成長について述べる過程で、ローマの貴族の家庭がどのようなものだったか、ローマの住宅状況がどのようなものだったかなどもあわせて触れられていて興味深い。

スラの死後、ローマ本国が落ち着いて帰国し、公職に就くころまでにはポンペイウスは遥か彼方、絶対的な権力を持つに至っていた。
後に、カエサル、ポンペイウスと並び三頭政治の一頭となるクラッススも経済界の大物として存在している。
しかし、彼らに遅れたにせよ、キャリアを積み重ねていき、執政官(コンスル)へ立候補する。
このとき、コンスルの当選を確実にしたいカエサル、オリエントの地盤を固めたいポンペイウス、当時のカエサルとポンペイウスではつり合いが取れないといった事情も含め誘われた経済界の重鎮としてのクラッススの3人の密約による三頭政治がひそかに成立。
カエサルはコンスルに当選し、他の2者への便宜をはかる。

コンスルとなったカエサルは国政の改革を進めるとともに、ローマの防衛線を確立するためにガリア(主として現在のフランス)遠征を開始する。

カエサルの国政改革は、国土が広くなり、任期1年のコンスルおよび元老院による統治では対応しきれなくなったことへの対応が主目的であり、のちに自ら終身独裁官に就任している。
イタリア半島だけであればまだしも、ポエニ戦争を経て、地中海の覇権国となり、ギリシアから小アジアに至るまで勢力を広げたため、遠征に行っても1年では結果を出せるわけもなく、元老院での意思決定のスピード感では遠隔地の事象に対応もできない。
もう一つは農地改革であり、これはグラックス兄弟以来の懸案事項。
国有地の適正な再配分を目指すものであるが、既得権益を持つ者から忌み嫌われ、流血沙汰を起こす事項。
これを弁論と、三頭による力で実施させた。

元老院の力を削ぐために、公職にある者は一定額(1万セステルティウス)以上の贈物を受けてはならないと定めた。
一切受け取ってはならないとしたわけではないことについて、塩野先生いわく、少額といえどもあらゆる贈物は受けてはならない、では、人間の本性に無知であることの証明でしかないではないか、と。


ローマの防衛線としては、カエサルは、北はライン川、東はユーフラテス川を考えていた。
東はポンペイウスの地盤であり、イタリア半島からは遠く差し迫った危機もないことともあり、カエサルはガリア総督として北を目指す。
ガリアにはガリア人が、ライン川の向こうにはゲルマン人がいる。
イタリアとガリアの間はアルプスしかない。
ゲルマン人は、西へ南へと迫り、押し出されたガリアが人イタリアに侵入するのである。
ガリアのゲルマン化を防ぎ、ローマ化することで、ライン防衛線を確立しようというのがカエサルの意図したことだった。

ドーヴァー海峡をわたって、現イギリスも訪れている。
後にチャーチルが、イギリスはカエサル遠征に始まったが、ドイツは未開の地であったと言う論拠がここにある。

ガリアに行って複数のガリア民族とゲルマン民族と戦っている間、ローマ本国での政治もおろそかにできないわけだが、手足となる人材を探しこれもやってのける。
一方で緊急時にはどこへでも真っ先に駆けつけて処理することもした。

三頭政治の一角であるクラッススは、軍事的功績がないことを気にしており、ローマの東にあるパルティア王国へと遠征する。
クラッススの子はカエサルのもとで優秀な指揮官へと成長していたが、彼を呼び寄せもしていた。
しかし、指揮官たるクラッススが軍事慣れしていないことに加え、パルティアの指揮官がスレナスという極めて有能な人物に率いられたこともあって、ローマ軍は完敗。
これがカルラエの戦いである。
クラッスス親子は戦死し、三頭の一角が崩れたことになる。
ローマは残る二頭、と言っても、カエサル対元老院・ポンペイウスとう構図だが、これがためにパルティア問題はしばし放置することとなる。

カエサルは、8年でガリア遠征を終わらせ、「ガリア戦記」を刊行し、イタリアに帰国する。
本国には軍を率いていてはいけないという決まりがあるが、元老院から敵視されているカエサルにとって軍を率いず丸腰での入国は危険極まりないことであった。
元老院はポンペイウスを担いで対決姿勢を強めていく。

カエサルはマリウスとスラの内戦を体験している。
自身、粛清されそうになり逃亡生活を余儀なくされている。
法に従わず軍を率いて入国すれば内戦は避けられないことも認識している。
そこに大いなる逡巡があった。
悩んだ男の決断であった。

---ここを越えれば、人間世界の悲惨。越えなければ、わが破滅。
進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ、賽は投げられた---

次巻。



メモ。

イタリアの普通高校で使われている、歴史の教科書
「指導者に求められる資質は、次の五つである。
 知性。説得力。肉体上の耐久力。自己制御の能力。持続する意思。
 カエサルだけが、このすべてを持っていた」
(文庫版8巻冒頭)

ユリウス・カエサル
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
(文庫版8巻冒頭)

ギリシアとローマの違いについて
アテネもスパルタも階級闘争があった場合、勝者が敗者を従属させることしかなかった。
ローマは、争っても結局は共存共栄に向かう。これが、ローマ人に帝国創立とその長期の維持を許した要因ではないか。
(文庫版8巻51ページ要約)

戦争は、死ぬためにやるのではなく、生きるためにやるのである。戦争が死ぬためにやるものに変わりはじめると、醒めた理性も居場所を失ってくるから、すべてが狂ってくる。生きるためにやるものだと思っている間は、組織の健全性も維持される。その最もはっきりした形が、一兵卒にもわかるようにはっきりした形が、食糧の確保だった。カエサルは、その重要性を生涯忘れていない。
(文庫版9巻91ページ)

われわれシビリアンは、軍人たちが隊列を組む訓練や規則正しい行進に執着するのを笑いの種にすることが多いが、これはもの笑いにするほうがまちがっているのである。隊列が乱れていては、行軍でも布陣でも指令が行きとどかない怖れがある。可能なかぎり少ない犠牲で可能なかぎり大きな成果を得ることを考えて、軍隊は厚生され機能されねばならない。そのためにはまず、指揮系統が明解である必要がある。そして、確立した指揮系統から伝達される指令は、中隊、大隊、軍団がそれぞれ秩序正しくまとまっていてこそ、すみずみにまで十分に伝わるのだ。
(文庫版10巻108ページ)
『ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷』
ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫) ローマ人の物語〈8〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(上) (新潮文庫) ローマ人の物語〈9〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(中) (新潮文庫) ローマ人の物語〈10〉ユリウス・カエサル ルビコン以前(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) (新潮文庫)
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グラックス兄弟の改革、マリウス、スラ、ポンペイウスが活躍した時代まで(BC133頃~BC63頃)。

ポエニ戦争を経て、ローマはイタリア半島にとどまらない大国となり、また、貧富の差も拡大していった。
これにより従来の政治制度がうまく機能しなくなったため、グラックス兄弟が改革を試みる。
なお、グラックス兄弟は、スキピオの孫にあたる、名門中の名門である。

彼らの改革は基本的には農地所有に関するもの。
貴族が保有できる農地に上限を設け、無産者に農地を与えることで、失業者対策とし、同時に社会不安をなくし、中堅市民を増やす、というもの。

しかし元老院は、国政を動かすのは自分たちだと思っている。
兄弟は、元老院との対立の中で死に、改革は頓挫する。

兄弟の次に登場するのが、マリウスとスラ。
マリウスは軍事で名をなし、執政官になる。
マリウスが行ったのは軍制改革。
今までは徴兵制であったのを志願制に変える。
失業者を軍に吸収したのである。
また、マリウスはゲルマン人の侵攻も食い止めている。
のちにローマ帝国はゲルマン人の大移動によって滅亡することになるが、すでにこの頃にはしばしばゲルマン人の侵攻があったのである。
紀元後に突如として現れたわけではなかった。
ゲルマン人への防衛線を確立しようとしたのはカエサルだが、これは追って述べる。

ローマには、農地の問題のほかに市民権の問題があった。
イタリア半島における同盟市は市民権を持っていない。
ポエニ戦争中はローマを守るために、ハンニバルの攻勢に耐え続けた同盟市だったが、その後も市民権がなく本国ローマとの不平等に業を煮やし、一斉に蜂起。
同盟市戦争が勃発する。
ローマはマリウスやスラたちが指揮を執り、対抗。
結果としてはローマ市民権を与えることで解決を図った。
これにより、イタリア半島は本国ローマと同盟市により成り立つのではなく、ローマを首都とする国家となる。

同盟市戦争の後、マリウスとスラの対立が鮮明になる。
年齢差は約20歳で、マリウスの方が年長である。
双方ともに武力をもってローマを制圧し、反対派を粛正する。
ちなみに、カエサルはスラによる粛清を辛くも免れている。
このとき消されていたらローマの歴史、どころか世界の歴史は変わっていただろう。

話が前後するが、マリウスは、スラがオリエント征伐に行っている間がローマを手中にしたが、老齢のため死ぬ。
スラはオリエント征伐が優先だと考えローマにはすぐには戻らず、オリエント征伐を終えたのち、ローマに戻り、マリウスの残党を破り権力を握る。
そのうえで、元老院を中心とした改革を行ったうえで隠棲し、寿命を迎える。

スラ派の人材としては、ルクルス、クラッスス、ポンペイウスらがいる。
後二者は、のちにカエサルとともに第1回三頭政治を行う。
ルクルスとポンペイウスは名高き軍人、クラッススは経済界の大物といったところ。
これらの他にも登場人物がいるが、彼らが、内部的な権力闘争もありスラの作った体制を崩していく。
スラ派の人物たちの中ではポンペイウスは若手だったが、その類稀なる将才が他の追随を許さず、人気を得、のし上がっていく。
先輩格にあたるルクルスにも引導を渡し、権力を握っていく。

ルクルスは、支持を得られなかった理由として、こう述べられている。
ルクルスは、自らの才能の優秀さに自信をもっていた。・・・優秀な自分が耐えているのだから、兵士も同じく耐えるべきと考えていたのである。・・・優秀なルクルスには、自分にまかせておけば良い結果につながるという自信が強すぎたために、兵士たちを積極的な参加者に変えるに必要な、心の通い合いの大切さに気づかなかったのであった。
ルクルスは東方に派遣されていたが、彼に代わったポンペイウスが、セレウコス朝シリアを滅ぼし、小アジアを勢力圏に置いた。

こうして、ローマで圧倒的な力を持つにいたったポンペイウスだが、彼は体制を変えることはせず、それはカエサルが行うこととなる。

最後に言葉を紹介する。
「歴史はときに、突如一人の人物の中に自らを凝縮し、世界はこの後、この人の指し示した方向に向かうといったことを好むものである。これらの偉大な個人においては、普遍と特殊、留まるものと動くものとが、一人の人格に集約されている。彼らは、国家や宗教や文化や社会危機を、体現する存在なのである。・・・危機にあっては、既成のものと新しいものとが交ざり合って一つになり、偉大な個人のうちにおいて頂点に達する。これら偉人たちの存在は、世界史の謎である。」
---世界史についての諸考察(ヤコブ・ブルクハルト)

ついにカエサルが登場する。
次巻。
『ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記』
ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語 (3) ― ハンニバル戦記(上) (新潮文庫)
ローマ人の物語 (4) ― ハンニバル戦記(中) (新潮文庫) ローマ人の物語 (5) ― ハンニバル戦記(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (2) ― ローマは一日にして成らず(下) (新潮文庫) ローマ人の物語 (6) ― 勝者の混迷(上) (新潮文庫) ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)
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イタリア半島統一(BC270頃)からポエニ戦争後(BC140頃)まで。

シチリアを巡る紛争から海運国カルタゴと争うこととなったローマ。
海戦は苦手なはずだが、敵船と自船をつなげる方法を編み出し、陸戦さながらに勝利を重ねる。

前回の末尾で述べたとおり、ローマは海の民ではない。
海戦は不得手だったことを自ら認識し、海上の戦いを陸上のそれと同等にするために、船に“カラス”と呼ばれるものを取りつけた。
筒状の棒(というには太いが)を船に立てておき、それを敵船めがけて倒し、橋渡しをするというもの。
ローマは白兵戦では敵なしだったので、この“カラス”による作戦が功を奏し、海戦でも勝利した。

もう一つ、カルタゴは象部隊を持っていた。
火器が発達するまでは、象は戦車のようなもので、世界のほかの地域でも象部隊を使った例はある。
しかし数度の戦いを経て、象部隊に慣れたローマはこれも破る。
そうしてシチリアを勢力に入れ、周辺の制海権を得て、カルタゴを圧迫した。

ローマは、プライドがないという見方もできるくらいに、他民族のものを遠慮なく取り入れ、合理的に活用する能力を持っていた。
これがローマが強大になった理由ではないかと思われる。
しばしば自己のプライドに縛られ身動きが取れなくなっている人あるいは組織を目にするが、そういう人・組織は決して強くならない。
自分が何でもできるとは思わず、取り入れるものは取り入れる、任せるものは任せるという割り切り具合、合理性、柔軟性が、ローマを強大にしたのではないか。

ローマが好きな、仕組み化・マニュアル化の一つとして、行軍・野営に関する記述がある。
ローマ軍全体は、ローマ本体の軍と同盟市等の軍からなるが、その行軍の順序が定まっている(事情によって臨機応変の対応はあったらしい)。
また、野営の陣地作りもマニュアル化されている。
これは、1年ごとに執政官(コンスル)も兵も入れ替わるから、だれがやっても同じ結果になるように、との必要性から生まれたらしい。
会社なんかでも仕事が属人化するとろくなことがないが、ローマ人はこの弊害を防ぐことに気を遣っていたのだろう。

第1次ポエニ戦争に敗北したカルタゴのハミルカルはイベリア半島を植民地化する。
ハミルカルの息子がハンニバル。
成長したハンニバルはアルプスを越え、北からイタリア半島に侵略。
ローマの指揮官の誰もハンニバルに勝つことができず、ハンニバルはイタリアを席巻。
しかし、首都ローマをすぐには落とさず、ローマ連合の解体を目指す。

ローマはハンニバルの補給線を断つべく、カルタゴからの援助を封じ、イベリア半島に軍を送ることで対抗。
イタリア半島内でも、直接の会戦を避け、持久戦に持ち込む。

イベリア半島には派遣された、というか自ら志願したわけだが、スキピオはこれを制圧、のち、北アフリカに侵攻。
ハンニバルはカルタゴに呼び戻され、スキピオと決戦。
勝利したのはスキピオ。
これで地中海の西半分の覇権はローマが握る。
こののち、マケドニア、カルタゴも滅ぼし、小アジアまで手が届くようになる。

主戦力の非戦力化、ということが繰り返し言われていた。
ハンニバルにせよスキピオにせよ---と言ってもスキピオはハンニバルの戦術を学んだから当然同じなのだが---敵軍の主戦力を足止めしている間に、敵の非主戦力を騎兵などで撹乱し、そののち敵軍全体を包囲殲滅するという戦法が多かったように思う。
真正面からぶつかるのではなく、自軍の兵科の有機的活用ということが何度も言われていた。

軍事の話題は忌避されがちだが、組織を最も効率よく動かすにはどうすべきかという観点ではよく練られているので、他の組織においてもそれを応用することは可能と思う。

シチリアという穀倉地帯を得たことでイタリア半島の農業に変化が生じ、領土が拡大したことでさらに外の国・民族と接することとなったローマ。
そういった変化から、数百年続いてきた政治体制がうまく機能しなくなり、改革しようとする者が現れ、ローマに内乱が生じる。
次巻。



いくつか言葉をメモしておく。

年齢が、頑固にするのではない。成功が、頑固にする。そして、成功者であるがゆえの頑固者は、状況が変革を必要とするようになっても、成功によって得た自信が、別の道を選ばせることを邪魔するのである。ゆえに抜本的な改革は、優れた才能はもちながらも、過去の成功には加担しなかった者によってしか成されない。しばしばそれが若い世代によって成しとげられるのは、若いがゆえに、過去の成功に加担していなかったからである。
(文庫版5巻22ページ)

優れたリーダーとは、優秀な才能によって人々を率いていくだけの人間ではない。率いられていく人々に、自分たちがいなくては、と思わせることに成功した人でもある。持続する人間関係は、必ず相互関係である。一方的関係では、持続は望めない。
(文庫版5巻53ページ)

現代の研究者でも、古代=奴隷制社会=搾取、ゆえに悪、と断定して疑わない幸福な人は別として、紀元前二〇〇年のここまでのローマ人を悪く評する人はほとんどいない。
(文庫版5巻94ページ)

最後のは少し説明が必要だろう。
奴隷というと、鞭打たれながら死ぬまで肉体労働に従事させられるというイメージが何となくあるが、ローマの奴隷はそうではない。
単に、戦争に負けて捕えられた人々といった感じで、特殊な技能を持つ人は高い給料をもらっていたようである。
特に、これは後々の巻で詳しく述べられるが、ギリシア人の家庭教師などは貴族の子弟の教育のために必要で、またそういった子弟が成長して国政に携わるようなときには、協力者として、必要な存在であり、奴隷の中でも地位の高いものとして遇されていた様子。
そして、奴隷であっても一定の条件を満たせばローマ市民権を得ることができた。
奴隷だからという差別はなかったようである。
ある民族が他の民族より優れているといった幻想・妄想に基づくものではなく、単なる勝者と敗者でありそれ以上の意味はなかったようである。
『ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず』
ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
塩野 七生

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)
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ローマ建国(BC753)からイタリア半島統一(BC270頃)まで。

王政に始まり、共和政に。
ローマ建国当初、周囲はといえば、ギリシアでアテネ、スパルタといった都市国家を建設して隆盛を誇っている。
南イタリアはギリシア人、北イタリアはエトルリア人、地中海を挟んで北アフリカのカルタゴはフェニキア人がそれぞれ支配し、ローマは弱小すぎて誰も気にしないという状況。

ローマは周辺の部族に勝利すると、その部族を自らの支配者層にまで取り込み(元老院の議席を与えた)、力を増していく。
元老院というと“長老”のようなイメージがあるが、そうではなく有力者の会議体という位置づけ。
ここを間違って理解していると、この後ずっとローマ史が正しく理解できない。

王政を配した後は、二人制・任期1年の執政官(コンスル)という役職を設けた。
コンスルは選挙で選ばれる。
王にせよコンスルにせよリーダーシップをとるものは必要だという認識からうまれた仕組み。
しかし、終身にしなかったのは王政への反省から。
国家の危機に至っては独任制・任期半年の独裁官(ディクタトール)が選ばれる。
強大な権限を持つから任期は短くするという。

アテネでの民主政はペリクレスの時代に完成する。
しかし、ペリクレスという強大なリーダーシップを発揮したたった一人の人間が民主政を完成させるという。
見方によっては彼は独裁者だが、巧みな政治力で支持を得続け、アテネを繁栄させもした。

後進国ローマは、先進国アテネに人を派遣するが、アテネの真似はしなかった。
一人の天才に頼らなければならないよりも、組織永続の仕組みを作ることを模索した。
貴族と平民の対立も目立つがコンスルに平民も就任できるようにするなど仕組み作りについては極めて合理的。
国民性の違いとか民族性の違いとか言ったらそれまでだが、ではなぜそのような違いを持つに至ったか、は良く分からない。

そのような仕組みを作って国内を安定させ、周辺に進出する。
一度はローマ陥落の憂き目に遭うが、時間をかけ復活を遂げ、イタリア半島の統一を進めていく。

紀元前4世紀後半にはマケドニアにアレクサンダー大王が現れるが、彼はペルシアからインドへと向かったので、ローマが彼と戦うことはなかった。
もともとギリシアはペルシアとの抗争もあったので、ギリシアを得たアレクサンダーはイタリア半島を見てはいなかった。
まだ見るに値しない小国であったというのもあるかもしれない。
アレクサンダーが長生きしていたら、ヨーロッパ・アジアの歴史は大きく変わっていただろうか。

兎にも角にも、イタリア半島を統一したローマはフェニキア人のカルタゴと見えるに至る。
ローマ人は陸の民、フェニキア人は海の民、どのように交わっていくのか。
次巻。
『孟嘗君と戦国時代』
孟嘗君と戦国時代 (中公新書)
宮城谷 昌光

孟嘗君と戦国時代 (中公新書)
戦国名臣列伝 (文春文庫) 春秋の名君 (講談社文庫) 春秋名臣列伝 (文春文庫) 中国古典の言行録 (文春文庫) 楚漢名臣列伝
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宮城谷昌光。

中国の戦国時代、諸国の有力者は、何かしらの能力に秀でた客を囲うのが常。
孟嘗君は食客3000人と言われた。

孟嘗君メインではなく、戦国時代がどのような時代だったかがメイン。

ユーラシア(BC2000~BC1)



【備考】
主なユーラシアの国々をBC2000からBC1まで描きました。
国境も、正確さに欠けるところがありますが、全体感をつかんでいただければと思っています。

目次
ご挨拶
アニメーションの見方etc


【アニメーション】

メソポタミア、オリエント(BC3000~BC600)
ヘレニズム、ギリシア、ローマ(BC650~BC1)
ローマ帝国、ゲルマン民族の大移動(1~550)
ゲルマン族の諸国家、ビザンツ帝国、イスラム勢力(500~1050)
十字軍、百年戦争(1000~1480)
大航海時代、宗教改革、絶対主義(1470~1780)
フランス革命、ナポレオン、自由主義、帝国主義(1770~1890)
戦国時代(1460~1620)
令制国
ユーラシア(BC2000~BC1)


【関連書籍etc】

【日本】
『人事の日本史』
『乙女の日本史』
『古事記と日本書紀 (図解雑学)』

【戦国時代/安土・桃山時代】
『箱根の坂』
『真説 戦国北条五代』
『北条氏康』
『毛利戦記』
『戦国九州軍記』
『裂帛 島津戦記』
『風は山河より』
『国盗り物語』
『信長』
『激震 織田信長』
『尻啖え孫市』
『織田有楽斎』
『播磨灘物語』
『覇王の家』
『城塞』
『夏草の賦』
『渡部昇一の戦国史入門』
『「負け組」の戦国史』
『戦国無双3』
『のぼうの城』

【幕末・明治維新】
『江戸三○○藩 最後の藩主』
『酔って候』
『岩崎弥太郎と三菱四代』
『小説渋沢栄一』


【中国】
『中国古典の言行録』

【春秋・戦国時代】
『天空の舟』
『沈黙の王』
『史記の風景』
『王家の風日』
『太公望』
『春秋の名君』
『春秋名臣列伝』
『春秋の色』
『管仲』
『侠骨記』
『重耳』
『介子推』
『孟夏の太陽』
『沙中の回廊』
『夏姫春秋』
『華栄の丘』
『晏子』
『子産』
『戦国名臣列伝』
『孟嘗君』
『楽毅』
『青雲はるかに』
『奇貨居くべし』
『長城のかげ』
『花の歳月』
『韓非子』
『孟嘗君と戦国時代』

【秦・漢】
『香乱記』
『光武帝』

【三国時代】
『三国志』


【アジア】


【ヨーロッパ】
『双頭の鷲』
『コンスタンティノープルの陥落』
『ロードス島攻防記』
『レパントの海戦』
『ハプスブルク帝国の情報メディア革命』
『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』


【アメリカ】


【その他】
『名将たちの戦争学』
『人名の世界地図』
『山川出版社監修 詳説世界史B/日本史B 総合トレーニング』

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